大衆文学というジャンルの形成 中村 健 (2007年9月25日)

 関西部会   発表要旨 (2007年9月25日)

大衆文学というジャンルの形成――大佛次郎の初期新聞小説を通して

中村 健

1.はじめに
 大衆文学の形成期である大正15年の大朝・大毎の新聞小説を題材に次の二点を考察する。
(1)大衆文学の性格と新聞小説の位置づけをメディア(新聞・雑誌)とのかかわりで見る。
(2)新聞小説の画期である大佛次郎「照る日くもる日」及び吉川英治「鳴門秘帖」を技法面から分析し,メディアとの関わりを考察する。
2.新聞小説の位置付け
 尾崎秀樹の大衆文学研究,高木健夫の新聞小説研究,有山輝雄・永嶺重敏の出版研究,白井喬二・大佛次郎の発言等を比較しながら,大衆文学がメディア事情(講談倶楽部の講談師事件,サンデー毎日の白井喬二登用による部数増)と深く関連したジャンルであることを確認した。中でも新聞小説(大朝・大毎)は,百万部の部数と日刊という刊行頻度で,雑誌と比べ一般大衆への影響力は強力で,大佛次郎・吉川英治という新人の成功は象徴的だった。この後,大衆文学において新聞小説は重要な作品群となる。筆者は,新講談誕生から平凡社「現代大衆文学全集」までの流れを,「月刊誌での市場の成立→大衆文学前派の起用→週刊誌への進出→百万部の新聞へ→評価機能としての円本」として提示した。それに対し,他メディアとの関係の質問,新聞・雑誌より映画の影響が大きいでは? 円本=評価機能は各社円本の成立状況を考えるともう少し検討がいるのでは? 等の意見が出た。
3.新聞小説に必要な技法
 福島行一「新聞小説研究法素描―大佛次郎の作品を中心に―」,千葉亀雄の随筆をもとに,大佛次郎「照る日くもる日」を分析。同時期連載の吉川英治「鳴門秘帖」,先行連載の行友李風「修羅八荒」前田曙山「落花の舞」と比較し,新聞小説の表現方法の変化を探った。先行作品と比べ大佛次郎・吉川英治は口語体で感情を表現した点が新しく,これこそ新聞読者に共感を呼び起こす技法ではないかと考察した。また,当時の関西の出版文化に質問があったが,筆者は新聞小説の新機軸が大阪朝日の内海景晋,大阪毎日の阿部真之助により関西で打ち出されたことは重要な事項であると考える。
4.今後の課題
 1.この後の大佛次郎・吉川英治の新聞小説の分析。
 2.長谷川伸・子母澤寛による新聞小説での講談調の復活について。
 3.雑誌における大衆文学を博文館と講談社の経営戦略で比較する。
(中村 健)