青木嵩山堂を中心に見た明治期大阪出版業 青木育志 (2018年9月25日開催)

■ 日本出版学会 関西部会 開催要旨 (2018年9月25日開催)

青木嵩山堂を中心に見た明治期大阪出版業

青木育志 (著述業)

報告要旨
 昨年、『青木嵩山堂 : 明治期の総合出版社』(アジア・ユーラシア総合研究所)を上梓した青木氏が、1)同社の出版点数に基づく出版活動の変遷、2)幸田露伴『五重塔』を事例に同社の文芸出版の考察、3)博文館との比較による同社および大阪心斎橋筋の書肆衰退の要因、の3点について報告した。
 創業者の曾孫にあたる青木氏が同社の歴史を調べ始めたときには、まったく社業や出版活動の記録が残されていなかった(その頃の苦労は、「1995年度第二回定例研究会」『日本出版学会会報』88、1996年4月に詳しい)。その後、20年以上をかけ、『(内外書籍)出版発行目録』や全国の図書館に所蔵された刊行物を調査し、同社の出版物の把握を行った。そこから同社は1880(明治13)年から1918(大正7)の40年近い出版活動で、約1650点、2600冊におよぶ発行物を刊行、明治・大正に活動した出版社として3位か4位の発行冊数だったと推計している。出版物の特徴として和装本が多く、代表的なものとして松平定信編『集古十種』全88巻がある。この他の同社の出版物の特徴として木版彩色画の口絵をつけた文芸出版などがあるが、これらの特徴は明治期で終わった出版社の共通の特徴でもあると述べた。青木氏は同社の衰退の要因を博文館と比較しながら、取次の未活用、東京・大阪の二本社制を活用、後継者を育成しなかった、優秀な外部の人材を活用しなかった、などを挙げた。その後の質疑応答では会場から多くの質問があったが、本稿では、常木会員からの文芸書の口絵の編集に関する質疑について報告する。
(文責:中村健)

質疑応答
 青木氏は著書のなかで、「画家によっては出版社が間を取り持ち、小説の概要や登場人物のポイントを伝えた上で口絵制作に取り掛かったのではないか」(126頁)との見解を示したが、この点を中心に質疑応答がなされた。その見解に至った理由として、青木氏からは、画家が小説原稿を読み込んだ上で口絵制作に着手したという定説に対する疑問を掘り下げていった結果、時間や物理的制約を考慮すると、この方法は困難だったという仮定に至ったと説明があった。これに対して質問者からは、小説家自らが下絵を描いた事例が紹介され、様々な制約のもとで口絵が制作された可能性について議論が交わされた。また、嵩山堂に関する一次資料の現存状況に関する質問に対しては、青木氏の調査の範囲では確認できていないと回答があった。
(文責:常木佳奈)

日 時: 2018年9月25日(火) 18時30分~20時30分
会 場: 立命館大阪梅田キャンパス 多目的室
参加者: 12名(会員7名、一般5名)