出版文化とライフヒストリー「『平凡』の時代」と西村和義  阪本博志 (2008年8月29日)

関西部会   発表要旨 (2008年8月29日)

出版文化とライフヒストリー ――「『平凡』の時代」と西村和義

阪本博志

 今回の報告は,本年5月に上梓した拙著『「平凡」の時代――1950年代の大衆娯楽雑誌と若者たち』(昭和堂)の内容を紹介したあと,ライフヒストリーを通して出版文化の可能性を考えていく研究の構想について述べたものである。
 報告者はまず,1950年代に最も読まれた大衆娯楽雑誌が『平凡』であることから,この時代を「『平凡』の時代」と設定した。その上で,当時の主要なマスメディアであるラジオ・映画と誌面との結びつき,「送り手」「受け手」それぞれの様相を,(拙著未収録のものも多数含む)当時の資料を紹介しながら再構成した。それは,「送り手」と「受け手」,スターと「受け手」という,上下の二項をどこまでもなだらかにし同一平面上に捉えていこうとする同誌発行人岩堀喜之助の理念を基底とするものであった。
 従来の1950年代把握は,当時を左右対立の時代と見なす「二項図式パラダイム」,当時を復興から1960年以降の本格的な高度成長に至る過渡期と見なす「過渡期パラダイム」に整理されうる。
 報告者は,主要なマスメディアがラジオ・映画からテレビへと移行する過渡期においてラジオ・映画と誌面が複雑に結びつき支持を集めた“過渡期的メディア”“テレビ的雑誌”として『平凡』を位置づけ,この時期を「『平凡』の時代」とする把握と上記2つの図式との関係性を整理した。
 具体的には,過渡期パラダイムは,1955年に成立した三重の政治体制(五五年体制の成立・六全協における日本共産党の「極左冒険主義」への自己批判・総評の方向転換)のもと1950年代が過渡期となりえたという把握をするゆえに,二項図式パラダイムに依拠するものである。また,「『平凡』の時代」とする図式は,過渡期的パラダイムに基づいている。ここに,〈二項図式パラダイム→過渡期パラダイム→「『平凡』の時代」〉と,関係性を整理できる。しかしながら,「『平凡』の時代」として1950年代を捉える把握は,二項をどこまでも同一平面上にしていこうとするものへの着目をもたらす。これに鑑みると二項図式パラダイムは,対立する二項のみに焦点をあてて1950年代を把握するものであるがゆえに,修正を迫られる。すなわち,「『平凡』の時代」とする1950年代把握は,従来のパラダイムに依拠しつつも,二項図式パラダイムを超え三者を捉える新たなパースペクティブの構築を可能にしよう。
 このあと報告者は,1953,54年にかけて京都大学経済学部学生西村和義によって展開された,大学生と『平凡』読者の勤労者との大規模な文通運動を紹介した。これはやはり,都会と地方,知識人・大学生と勤労者という二項を,同一平面上にしていこうとする試みであった。そして今日に至る西村のライフヒストリーをたどり,彼の思考が現在まで一貫していることを示し,そこから「『平凡』の時代」の思想の今日的可能性を考察した。このようにして,ライフヒストリーを通し出版文化の可能性を探究した。
 なお,昭和30年代にあたる1955-1964年は,1951年のラジオ民間放送開始のあとテレビの本格的な普及や週刊誌ブームが起き,新旧のマスメディアが出揃った時代であった。その時期に自身のコンディションも絶頂を迎えマスメディアを横断して活躍したのが,評論家・大宅壮一である。
 昭和30年代は,「大宅壮一の時代」だとも言える。報告者は,1950年代『平凡』とのメディア史的連続性から大宅に着眼し,今春その最初の成果「大宅壮一研究序説――戦間期と昭和30年代との連続性/非連続性」(『文学』3・4月号)を発表した。
 現在のこうした研究についても,補足的に報告した。
 参加者からは,『平凡』,西村,大宅それぞれの研究に関するコメント・批判・質問が活発に寄せられた。
(阪本博志)