政治漫画の分析  茨木正治 (2003年9月12日)

■ 関西部会   発表要旨 (2003年9月12日)

政治漫画の分析

 新聞掲載を主とした一齣漫画を,「政治漫画」と定義して,その歴史および研究史と分析方法を拙著『「政治漫画」の政治分析』(芦書房,1997年)をもとに概説し,現在の研究の方向性と課題を9月12日の「政治漫画」をもとに提示した.
 「政治漫画」の紹介として,9月12日掲載の,「三大紙」(『朝日新聞』『読売新聞』『毎日新聞』)の作品をとりあげ,各新聞の掲載形態が出来事の取捨選択に微妙に影響を及ぼしていることを示し,本論の導入とした.すなわち,ほぼ毎日掲載される「朝日」「読売」は,前日の自民党総裁選が,週2回掲載の「毎日」は「野中氏引退声明」をそれぞれテーマに選んでいたところから,「速報性」と政治対象の「複雑性」などの,マス・メディアとしての新聞が抱える問題を「政治漫画」ももっていることを示し,加えて画像情報としての「読み方」の体系化が十分でなかったことが,研究史の貧困さと「複製芸術」として,印刷物の登場から存在する「政治漫画」そのものの歴史の豊かさとの乖離をもたらしたとした.
 「政治漫画」が素材として人文・社会科学の研究に用いられたのは20世紀初頭からであったが,コミュニケーション研究との関連において,「読み方」の模索がなされたのは1970年代になって初めて行われた.ここでは,主として送り手(漫画家を含む新聞メディア全体)の意図を受け手(読者)にいかに反映させうるかといった「説得」機能を中心に研究がなされている.こうした「説得」を社会相互作用の中の価値の獲得(剥奪)という「権力」作用の手段ととらえると,「政治漫画」はその対象のゆえに,感情を喚起させたり,内容を凝集させてより多くの人間の「同意」を獲得して社会的・政治的統合をはかる「政治シンボル」の機能を有するとみなした.そこから,政治シンボル論や政治コミュニケーション論との関係をもつことが示された.
 シンボル研究から見出されたこととして,まず,シンボルの機能を「暴露」し相対化させる働きを「政治漫画」に求め,特に「政治漫画」を読む際に得られる場合がある「笑い」が,「自己批判を内在した批判」となりうることを予想させるとした(ただし,この指摘は現在も検討中の課題である).次いで,「暴露」「相対化」の働きは,見かけの多元性を看過する手掛かりともなりうることを,視覚・映像メディア優位の現代における「政治漫画」の働きとして位置づけた.
 参加者からは,歴史的に見て新聞漫画は大衆性といった面では,「マス・メディア」であったのかと言う問題提起や,「政治漫画」は風刺だけでなく,視点の逆転や異なった位相への展開を持っているのではないかなどの質問がなされた.
(茨木正治)