希少雑誌『大阪パック』の持つ意味  清水 勲 (2004年7月23日)

■ 関西部会   発表要旨 (2004年7月23日)

希少雑誌『大阪パック』の持つ意味

清水 勲

 今回は,清水 勲氏(漫画・諷刺画研究家 帝京平成大学情報学部教授)をお招きして,「希少雑誌『大阪パック』の持つ意味」という題目で報告をしていただいた。
 明治39年(1906年)から昭和25年(1950年)までの44年間に841冊刊行された『大阪パック』は,所蔵機関が少なく,個人所蔵を含めても発行された号数の半分も現存していない。それはなぜなのかを探ることがこの報告の趣旨であった。
 まず,報告者は,『大阪パック』の概要と所蔵機関の少なさといった,問題提起に関する状況の整理を行い,次いで,「鳥羽絵」という言葉発祥の地であり,明治期には宮武外骨『滑稽新聞』が生まれた大阪の情報環境を,「マンガ文化発信地」として位置づけた。
 さらに,報告者は,このような「豊かな情報環境」である大阪が,なぜ『大阪パック』を希少雑誌たらしめたのかを,『東京パック』との比較を通じて問題意識を深化させたことを指摘した。そして,A明治期,B大正期,C昭和前期,D昭和戦後期にわけて,『大阪パック』の歴史をたどり,諷刺性の豊かな明治期,大正デモクラシーを反映し「大衆社会化」の進展に伴って労働・社会運動を扱った漫画が特徴となった大正期,戦時体制に含まれ,名称の変更も経験し,読み物にシフトしていく昭和期とそれぞれを特徴付けた。
 こうした概観から,以下の3点に歴史的価値を要約した。
 A 歴史的事件に対する反中央感情の記録
 B 近代における都市と農村の相克
 C 歴史に翻弄される庶民の生活記録
 ここにおいては,諷刺が形式化されていった『東京パック』に対して,庶民の視点(庶民を絶対視するのではなく)・意識を念頭に置いた『大阪パック』の特徴が,長期刊行の原動力となって言ったのであろうとの指摘があった。
 最後にまとめとして,報告者は,『大阪パック』の長期間の刊行の原因として,上記のような庶民の視点や,広告を多方面から獲得しようとする「営業努力」をあげた。反面,なぜ希少雑誌となったのかについては,いくつかの仮説は考えられるが決定的なものは課題として残されたと述べ方向を終えた。
 以上の報告を受けて,参加者(総数23人)を交えての質疑応答となった。多くの質問がなされたが,発行部数,販売経路,読者層,広告主および広告内容などに関する点について活発な議論がなされた。報告者は,発行部数,販売経路については,『東京パック』との比較(最大3万部)において1,2万部と推定されるが,残存の希少性がここでもネックになっていると述べた。また,参加者から広告や販売様式(駅売り)から,読者層をある程度推測できるのではといった指摘や,戦後の出版物への飢餓状況とその反動と,『大阪パック』の終焉と「大人の漫画」の衰退(終焉)とのかかわりといったきわめて興味深い論点が指摘された。