『戰線文庫』復刻とその後  橋本健午 (2006年2月27日)

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■ 関西部会   発表要旨 (2006年2月27日)

『戰線文庫』復刻とその後
橋本健午


 旧日本海軍省の月刊慰問雑誌『戰線文庫』の復刻版が昨年7月,合本を所有する日本出版社(東京)から出た。3年ほど前から研究に取り組む私は,復刻する各号の記事の選定やその解説にたずさわる。発刊後,いくつもの新聞や雑誌,FMラジオで取り上げられ,当時の関係者や未知の方からの情報も寄せられた。
 60数年前の厳しかった内務省の検閲や用紙制限,雑誌の合併や廃刊など出版規制は,これら旧陸海軍省の慰問雑誌(陸軍省…『陣中倶楽部』など。いずれも非売品)には“直接”及ばなかった。たとえば,1938年秋創刊の戦地版『戰線文庫』の姉妹誌として,1940年秋ごろから同時に出された内地版『銃後讀物』は,記事や小説など7,8割は同じだが定価40銭と有料であり,戦況が厳しくなるにつれページ減となるのは他の民間雑誌と同じであった。
 このように優遇?された慰問雑誌には,従軍記者として派遣された多くの作家や画家,漫画家が顔をそろえ,グラビアの女優たちは戦地の兵士を慰め,かつ励ましのメッセージは彼らの士気を大いに鼓舞した。また,学徒動員の女学生や働く女性たち,そして広告を出す企業も後押しをするなど,これら慰問雑誌は誰もが軍(国家)に“協力”するしかなかった状況を如実に示している。すなわち,献金献納に励む子どもたちを含む銃後国民を巻き込む戦争は国家事業であったからだが,いま憲法改正論議のなか,自他ともに多くの国民の犠牲を伴う戦争について,原資料『戰線文庫』から学ぶものは多々ある。まだ,その全容の解明には至っていないが,今後も研究成果を私のHPに掲出する予定である(「心―こころ―」内の「『戰線文庫』研究」)。
 『戰線文庫』は文藝春秋社の流れを汲む出版社が引き受け,『陣中倶楽部』は講談社に委託された。前者は編集を比較的自由に任されたようだが,後者は陸軍省の干渉が厳しかったという。『戰線文庫』および『銃後讀物』の終刊は1945年8月といわれる。
 刊行後,私は70代後半の男女から抗議や慨嘆の手紙をもらっている。一つは拙稿「幻の海軍慰問雑誌」(文藝春秋05年9月号・巻頭随筆)に対し,「国民が戦争を煽ったなどという“引用”と原稿を載せるのはけしからん」という曲解によるものであり,もう一つは1943年10月21日雨の明治神宮外苑で学徒出陣を見送った女性からで,「もはやあの戦争も資料から学ぶものですね」とあった。また,昨年末の講演で慰問袋などを戦地に送る話をすると,「(1944年7月7日に)サイパンが落ちてから,前線はなくなった(から,送っていない)」と自称“50年にわたる戦争研究家”は公言したが,献金献納がその後も続いていたことは,これら慰問雑誌に容易に見ることができる。私は彼らを「戦争を私物化する世代」と名付けた。
 さらに困ったことに,50代前半のドキュメンタリー作家はある出版関係の講演で,戦前の言論統制に関し短絡的な発言をしている(「新文化」05・06・23所載)。彼が人気者ゆえに,歴史(過去)を知らない若者たちが,その発言を鵜呑みにすることをおそれるのは,先の年配者の言説以上である。
(橋本健午)