特別報告 出版史研究の手法を討議する:戦前の週刊誌の連載小説の変遷を探る(その4)

特別報告 出版史研究の手法を討議する:戦前の週刊誌の連載小説の変遷を探る(その4)

中村 健(大阪市立大学学術情報総合センター)

出版学の領域

 「編集事項の数的理解による作品との関係性は浮かび上がらせることができたが、そこから出版研究はどのようなアプローチができるのか? 出版学の見地から作品の評価というのは可能か? 雑誌の連載小説を研究する場合、文学研究と出版研究は、どのように交差するのか」
 この会の討議(2014年3月12日関西部会)で一番の議論となった部分だ。

 筆者として考えたかったのは『サンデー毎日』の連載小説の次の現象である。
 連載作品の評価を考えるうえで最もわかりやすい指標は、連載回数である。長期連載作品はその作家の代表作となることもある。しかし、『サンデー毎日』において、連載回数の多い作品である白井喬二「地球に花あり」(35回)や大佛次郎「夕焼富士」(31回)は、彼らの代表作には含まれていない。全集にも収録されず、テキストも入手しにくい作品である。また、起用回数の多い川口松太郎の作品(「月夜鴉」「三味線武士」「芸道一代男」など)も連載期間も長く映画化もされたが、この時期の代表作は、月刊誌(「鶴八鶴次郎」)や新聞(「蛇姫様」)の連載作品である。一方、子母澤寛「弥太郎笠」(10回)は、連載回数が少ないものの、代表作の一つであり股旅物というジャンルを代表する作品だ。
 こうした矛盾はなぜ起こるのか?
 雑誌における連載は、読者をつなぎとめ、部数の安定を図るための企画といえる。従って、長編連載が得意で筆力のある作家に依頼する。受けた作家も掛け持ちの状態なので、部数の多い媒体に力が入る。当時、連載の主流は新聞と月刊誌であった。そのため、安定を優先し、新人の起用が難しかった。人気作家は繰り返し起用され、連載も長期化する。こうした構図は辻平一氏『文芸記者三十年』(毎日新聞社、1957年)、扇谷正造『現代のマスコミ:週刊朝日編集長の覚書』(春陽堂書店、1957年)などの編集者の記述から容易に理解できる。しかし、これだけでは「事情の理解」である。事情から浮かびあがるシステム、関係性、場の力学といったものを「出版学」「メディア学」の言葉や概念で語る必要がある。
 残念ながら、このとき筆者は解を提示できなかった。議論のたたき台として長期連載を評価することで、現象を理解できないだろうかと考え、各作品を「企画の新しさ」「連載回数/連載の平均回数」「代表作レベルの作品かどうか」「文学上の意義」などの項目を設定し点数をつけた評価表を作成した。しかしながら、この指標設定に批判が集まった。(注15)
 

編集の役割を考える
 
 この部会での議論のポイントは2点である。
 ・出版研究において連載小説の質的な評価が可能か。
 ・同時に作品や記事に対して出版学としてどこまで迫れるか。
 ちなみに、吉見俊哉は、テレビのドラマ分析を例に内容分析などテクストの次元にとどまらず「メディアの実践」を論じる点がメディア研究と述べている(注16)。
 討議の結果、作品分析や評価は文学研究の領域、連載回数や誌面を占める範囲といった数値に基づく定量分析や雑誌を取り巻く環境(読者圏、流通環境)の検証が出版研究の領域である、という線に落ち着いた。これは文学作品を対象にした場合であり、記事や論説などを対象とした言説分析の場合は、領域は変わってくるだろう。
 小説や読物を「出版学」として考察する場合、作家(書き手)より編集者に重点を置いた考察が欠かせないだろう。大衆文学の生みの親、白井喬二は、新聞、雑誌における連載小説の型を次々と作ったが、どのように編集者は機能したのだろうか? 週刊誌連載の形を作った「新撰組」には大阪毎日新聞の石割松太郎、社説下に長期連載した「祖国は何処へ」には時事新報の整理部長森田耕吉の存在がコンテンツ形成にどのように影響したのか? 個人に焦点をあてるのが難しい場合は、編集部をシステムとして見てよいかもしれない。ここに、史資料を徹底的に網羅、収集し史料批判する歴史学の手法で迫りたいが、史資料の散逸や非公開といった史料の不足が壁となって迫りきれない。この課題を乗り越えるために、いくつかの手法・概念が参考にできそうである。
 ひとつは編集者と作家の関係をキャリア連帯(注17)という概念を援用することで理解を深められないかということだ。
 もう一点は、次回からの田島悠来会員の連載で詳しく述べられる定性分析を使うことだ。
 筆者は、今、一つの資料に注目している。
 『ポケット』(博文館)の編集者、鈴木徳太郎が大佛次郎にあてた書簡が「鈴木徳太郎書簡 大佛次郎あて」(『おさらぎ選書』21集、2012年)として収録された。書簡には鈴木徳太郎が大佛とともに大衆雑誌『ポケット』で目指した「大衆文学」のビジョンの一端が記されている。「経営者の希望、営業政策を無視することが出来」ないが掲載作は「芸術」として取扱はれるよう作品を揃えたいとか、読者の嗜好について、どこまであわせるべきかなど具体的な記述が散見される。同じ巻に収録されている『ポケット』総目次と合わせると、講談社文化・岩波文化とは違った、博文館の出版コミュニティに迫れる期待を秘めている。
 大衆文学はとかく「通俗」「大衆の嗜好を反映する」という言葉で片付けられがちである。しかし、定型の中に、著者や編集者の「メッセージ」がある。出版学としては、編集やメディアの概念から解析し、文学研究とは違う解を提示することが出版史研究であり、文学研究など諸領域と融合しながら総合的な見取り図を示していくものと考える。 (終)
 次回からは田島悠来会員の特別報告です。

注15 筆者は現在、客観的な数値として、大項目を連載時と連載後に分け、連載時の指標は連載回数、書籍化、映画、舞台化された回数。連載終了後は、書籍化、テレビ化、映画化など他媒体での業績、現在の流通の度合いなどが客観的な数値と考えている。
注16 吉見俊哉『メディア文化論 : メディアを学ぶ人のための15話』改訂版(有斐閣、2012年、12~15頁)
注17 山下勝、山田仁一郎『プロデューサーのキャリア連帯 : 映画産業における創造的個人の組織化戦略』(白桃書房、2010年、63頁)では、「創造的なキャリアを形成するために、互いに重要な他者である複数の行為者が価値を共有する代替困難な社会関係性基盤」と定義されている。また、樺島榮一郎編著『メディア・コンテンツ産業のコミュニケーション研究:同業者間の情報共有のために』(ミネルヴァ書房、2015年)では、「ギョーカイ」の成立に焦点をあててさまざまな事例を分析している。