辞書印刷の技術とジョンソン『英語辞典』異版を見る 小酒井英一郎 (2013年5月25日,9月28日)

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■出版技術・デジタル研究部会,出版史研究部会 共催
  見学会概要(2013年5月25日,9月28日)


辞書印刷の技術とジョンソン『英語辞典』異版を見る
――研究社印刷見学


案内役:小酒井英一郎
(研究社印刷代表取締役)


 研究社印刷の歴史は,株式会社研究社(明治40年創業)が,自社の発行のする英文書籍の組版のための工場を大正8年千代田区九段に開設したことに始まる。翌年には新宿区神楽坂に移転,当時最新の印刷機設備も導入され,研究社印刷所として本格稼働した。
 昭和7年には英国よりモノタイプ自動鋳植機を輸入するなど,欧文組版,辞書組版とその印刷を中心業務として発展していき,戦後昭和26年に研究社印刷株式会社として分離独立,以後,研究社以外の出版社や大学などからも仕事を受注するようになった。
 昭和59年に,それまで使われていた神楽坂の印刷工場(昭和2年落成)も老朽化し,手狭であったため,現在の地,埼玉県新座市に移転し,同時に辞典用薄紙印刷に適応できる四六全判オフセット両面印刷機が導入された。翌昭和60年には辞書作製の効率化の要請に応えるためにコンピュータ組版システム(CTS)が,また平成3年には一般書籍,雑誌の組版のためにMacintosh DTPシステムが導入された。それまで並行して使われていた活版設備は,諸材料の入手が困難になったことや設備が老朽化してきたこともあり,平成8年にその役目を終えた。
 活版の時代は,もちろん原稿は手書きで,単語ごとに四六判ほどの大きさのカードに記入され,全体で段ボール箱に何十箱にもなるような膨大なものであった。原稿には簡単な書体指示程度があるだけで,約物やスペースの判断はすべて植字工が担っていた。2000頁を超える辞典を,少ない時でも五校,多いと七,八校まで校正を重ねるので,5年10年掛かってようやく刊行される辞典はざらにあった。辞典の宿命として,良いものを作ろうと時間を掛けるほど(例えば人物の没年など)記載内容が時と共に変わらざるを得ないものもあり,いつまでも赤字が減らないこと,関連項目との兼ね合いで項目の追加や書き換えがのべつ発生するなど,ゲラの汚さ(赤字の多さ)は相当なものである。そのうえ,改頁箇所も少ないため,赤字による行の増減を極力そのページ内で収める工夫も必要となる。
 また,多くの専門分野にかかわる項目が含まれるため,諸外国語の文字や数式・化学式など,その組版要素も多彩であるのも辞書組版の特徴といえる。さらには,外国語辞書では,欧文特有の行末処理(ハイフネーション)やアクセント記号に対する気配りも必須となる。このように,活版による辞書作りは,その必要とする資材の多さ,保管の時間の長さもさることながら,組版技術においても熟練さが求められた。
 以上のことがらはコンピュータ組版になっても事情は変わらず,雑誌のように一度印刷してしまえば終わりというものではなく,何年後かの改訂作業に備え,長期的な運用に耐えるシステムの堅牢さ,データ保存にも配慮が必要となる。また,電子辞書などへの再利用を考慮したデータ管理も今では必須である。
 印刷においても,辞典は大量ページを携帯性のある本に仕立てるため,一般的な上質紙の半分以下の厚さで,その色や裏抜けのなさ,丈夫さ,手触り感,特殊な寸法などを考慮した,特漉きと呼ばれる辞典用紙が使われることが多い。このため,所有する印刷機は,特別仕様というわけではないが,薄紙に特化した仕立てにするため,厚い用紙は刷ることができない。
 現在は,親会社である研究社からの受注が約半分,その他の出版社などからの受注が残り半分ほどで,活版時代から培われてきた欧米諸外国語(英・仏・独・西・露など)の教科書や辞典の組版,辞典などの薄紙印刷を得意分野として事業展開している。
 近年では,少子化やインターネット・電子辞書の普及にともなって,総じて紙の辞書の発行部数も減少しているが,辞書組版のノウハウを生かした辞書データベースの取り組み,薄紙を必要とする保険の約款などの印刷も多く手掛けるようになっている。
 なお,研究社ではサミュエル・ジョンソンが手がけた『英語辞典』の諸版を所蔵している。本書はジョンソンがほぼ独力で8年余を費やし,1755年に完成させたもので,2300ページを超える大著である。この辞書は,日常的な基本語彙を用例とともに多く載せた,最初の近代的な英語辞典として一時代を画したもので,その辞書編纂の内容はのちの英語辞典の最高峰とされる『オックスフォード英語辞典』(通称OED,1928年刊行)にまで続くものである。
 研究社は1990年ころ,丸善からこのジョンソンの英語辞典関連の一大コレクションを購入する機会を得た。これは,1755年の初版から1820年ころまでに発行された親版・簡約版のすべての改訂版などを含む約80版(130冊余り)からなるもので,将来にわたって英語辞書研究に資するべく保管されており,一般には公開されていない。
 今回は,この中から初版を含む主だった版16点の閲覧を行った。

※2013年度第1回研究部会,5月25日参加者10名(会員9名,非会員1名),9月28日参加者9名(会員6名,非会員3名)。
(文責:小酒井英一郎)