『社会の中の出版流通と“公共性”について考える』  柴野京子 (2007年11月29日)

■ 出版流通部会   発表要旨 (2007年11月29日)

シリーズ『出版流通の現状と未来』(2)
――社会の中の出版流通と“公共性”について考える

 11月29日,2007年度3回目となる「出版流通研究部会」が開かれ,会員の柴野京子さんから「社会の中の出版流通と“公共性”について考える――出版流通は〈失敗〉したのか」についての報告を受けた。以下,柴野さんの報告の概要である(参加者28名)。

 「シリーズ出版流通の現状と未来」第二回目となる今回は,出版流通の社会的ポジションについて,「公共性」というキーワードをおいて議論する機会を与えていただいた。出版物を世の中に流通する,という出版流通本来の役割に立ち戻ったとき,そこでは何が期待され,また自覚されているのか?という問いである。
 報告ではまず,公共図書館に関するユニークな研究を紹介した。公共図書館を取り巻くステークホルダーの評価から,図書館の社会的ポジショニング戦略の失敗と解決策を主に蔵書内容から論じたものであるが,同時に公共図書館をめぐっては,さまざまな次元で「公共性」の意味が存在することを確認した。次にこれを手がかりとして,商業出版流通の社会的評価を再考した。出版流通の社会的評価は,(1)読者による書店への要求(品揃え,注文品の速度),(2)知識人・マスコミ等によって構成される世論に二分される。前者においては,再販問題に端を発する注文品問題,およびインターネット普及の相乗的な改革による変化もみられるが,後者は改善されていない。
 そこでは「社会」「文化」「公共性」といったタームが未整理のままとりあげられ,出版流通は硬直的・閉鎖的システムとしてネガティブな評価を受けている。このような,出版流通における社会的アイデンティファイの「失敗」は,たとえば戦時の配給組織統制(日配体制)において逆説的にもたらされた公共性を,システムとして,また思想的に受け継いだ戦後体制のねじれでもある。しかしながら,産業構造自体が相対化され,業界三者的な枠組で論じることがもはや不可能となった現在,出版流通の社会的な役割や機能というものを,改めて提示する挽回のチャンスと考えることもできるのではないか。
 以上のような論旨の最後に報告者自身の考える出版流通へのアプローチについて述べ,報告を終了した。引き続いて,清田義昭氏からコメント・質問をいただき,会場の参加者とディスカッションを行った。寄せられたご意見は,公共図書館を引き合いに出すことの妥当性,日配システムに関するプラス・マイナス評価について,日配が合理的システムを作りえた背景,なぜ今挽回のチャンスといえるのか,などであったが,最も多く,共通して寄せられたのは出版流通の公共性をどのように(報告者自身が)結論づけているのか,というものである。この点について,放送や新聞との比較に関する指摘もいただいた。「公共性」は,常に社会的文脈によってその内容が変わりうる,マジックタームである。同じ体制においても何を優先するかによって正反対の価値を生じることがある。今回の部会では問題提議にとどまったが,こうした複雑さを自覚しながら,さまざまな出版物が人の手に渡ることが,公共性という側面からいかにとらえうるか,今後の課題として取り組みたいと考えている。
(柴野京子)