追悼・植田康夫氏 (会報146号 2018年10月)

■ 追悼・植田康夫氏

〈植田康夫氏 経歴〉

1939年8月26日 広島県呉市生まれ
1962年 上智大学文学部新聞学科卒業
1962年 読書人  編集部入社
1967年 「大宅壮一東京マスコミ塾」一期生となり,ジャーナリストとして活躍
1982年 「週刊読書人」編集長就任
1989年 読書人  退社
1989年 上智大学文学部新聞学科助教授
1992年~2008年3月 上智大学文学部新聞学科教授
1995年~2018年 大宅壮一文庫の評議員,理事,監事を歴任
2000年~2008年 日本出版学会会長(4期8年)
2008年 読書人  取締役、 「週刊読書人」編集主幹
2009年 上智大学名誉教授
2013年 読書人  代表取締役社長就任
2016年 読書人  顧問
2018年4月8日 逝去

〈主な著書〉
『現代マスコミ・スター 時代に挑戦する6人の男』文研出版,1968年
『白夜の旅人 五木寛之』大成出版社,1972年/改訂版 ブレーン,2012年
『病める昭和文壇史――自殺作家に見る暗黒世界』エルム,1976年
『自殺作家文壇史』北辰堂出版,2008年
『3000万人を魅きつけた男 磯村尚徳のテレビマン哲学』学陽書房,1978年
『現代の出版――この魅力ある活字世界』理想出版社,1980年
『編集者になるには』ぺりかん社,1981年
『当世出版事情――本と雑誌への熱いまなざし・行動的読書生活のために』理想出版社,1981年
『出版界コンフィデンシャル〈part 1-2〉』理想出版社,1982年
『メディアの狩人 時代のコンセプトをどう読むか』花曜社,1985年
『ベストセラー考現学』メディアパル,1992年
『売れる本100のヒント』メディアパル,2000年
『売れる本のつくりかた ベストセラー・ヒット企画を生み出す発想のヒント』メディアパル,2005年
『雑誌は見ていた. 戦後ジャーナリズムの興亡』水曜社,2009年
『本は世につれ ベストセラーはこうして生まれた』水曜社,2009年
『ヒーローのいた時代 マス・メディアに君臨した若き6人』北辰堂出版,2010年
『出版の冒険者たち. 活字を愛した者たちのドラマ』水曜社,2016年


 

植田康夫先生追悼文――教育者・編集者・書き手として

蔡星慧 (チェ・ソンへ)

 先生との出会いは2000年大学院受験のために準備していた研究生の時からだった.初めて研究室を訪ねた時,資料で溢れている狭い研究室から出られた時の印象が今でも記憶に残る.人ひとりようやく出入りするスペースしかないため,誰も入ることができなかった研究室は多くの書籍や雑誌,文献で埋め尽されていた.そんな山ほどの文献から不思議と的確に必要な資料を提示していただいた.

 先生のこれまでの道は教育者であると同時に書き手であり,編集者だったのではなかろうか.大学では「出版論」「編集論」「雑誌論」「大衆文化論」「メディア論」などを担当しておられた.大学院では,今は韓国に帰っている文珠さん,日本に残る王萍さんを含む多くの留学生が指導を受けた.多忙な中でも常に応援し,穏やかに見守っていただいた.先生の指導の下で文珠さんは出版学では第一号の学位を取得し,私は最後の指導学生になり,学位をいただいた.

 書き手としての先生は資料や原稿用紙と向き合っている姿を思い出す.締め切りに追われながらも書く時間を楽しんでおられた.『東京新聞』で「戦後のベストセラー」「雑誌」について半年ずつ連載が決まった時は,手元の資料に目を通しながら書いていくのが楽しみだと大変喜んでおられた.退官後,読書人に再度戻られた時は,若い時にできなかったことをやってみるのだと生き生きとしていた.そしてエディターシップとは何かを問い続けておられた.根っからの編集者に思えた.

 先生とは韓国や中国にも行き,韓国からの先生方や学生たちを引率して日本の出版社を見学することもあった.日中韓の学会交流は清水英夫先生,箕輪成男先生,吉田公彦先生とともに導いておられた.若手を育て,どんな人とも真剣に向かい合うことで学会に存在感を残したのではなかろうか.

 2010年,ゼミ生で企画した旧満州の旅は最後の思い出になった.広島生まれの先生は日頃から広島,長崎,旧満州と戦争の記憶に関心を持ち続けていたので,旧満州の旅が実現できたのだ.もっと一緒に旅をし,議論する場があったらよかったと後悔が残る.

 お別れの会は日本出版学会,大宅壮一文庫,読書人,本の学校,上智大学の5つの団体関係者が共同で主催した.56年間,様々な分野で活躍され,関わった多くの方々が参加していたので,日頃の先生の穏やかな人徳がうかがえる会だった.多くの方々が先生を思い出していくに違いない.

 いつかはと思っていたけれど,突然すぎる別れに心の準備もできず,喪失感は埋まりそうにない.けれど,日本で先生に出会えたことで,多くのことを経験し,学んだ.その思いを日本で生きる力にしていきたい.