第34回 日本出版学会賞 (2012年度)

第34回 日本出版学会賞 (2012年度)

 第34回日本出版学会賞の審査は,出版研究の領域における著書および論文を対象に,審査規則に基づいて行われた。今回は2012年1月1日から12月31日にかけて刊行,発表されたものを対象に審査を行った。審査委員会は3月3日,3月24日と2回にわたって開催された。審査は,学会員からの自薦他薦の候補作と古山悟由会員が作成した出版関係の著書および論文のリストに基づき検討を行い,最終的に審査対象となったのは3点である。これらの候補作を対象に選考を行った。その結果,日本出版学会賞奨励賞2点が決定した。



【奨励賞】

 岡村敬二 著
 『満洲出版史』
 (吉川弘文館

[審査結果]
 本書は,これまで未開拓の分野であった満州における出版の通史として書かれたもので,その点ではオリジナル性の高い著作と認められる。
 同書は,現地・満州の新聞や書評紙,納本,検閲誌などの資料に基づいて,満州における出版法制や諸団体,各出版社の実態などを丹念に解き明かしている。制度的な面はよく調べられているのに対して,出版流通の実態や日本国内との比較が弱い。また,より一層の深い考察が期待される。
 なお,本書は,全333ページ中,本文部分が200ページ弱と,資料の部分の比率が大きい。また,注記が本文中に組み込まれていたり,参考文献等の表示が見当たらないことは,一般向けのものならともかく,専門書としては疑問である。
 このようなことから,従来,空白領域の研究としては高く評価できる点と,上記で触れた問題点とを勘案して,奨励賞を授与することにした。

[受賞の言葉]
 岡村敬二

 このたび,吉川弘文館から刊行した『満洲出版史』が日本出版学会の奨励賞をいただくこととなった。まことにありがたく,こころよりお礼を申し上げたいと思う。
 これまでわたしは長いあいだ,満洲はじめ外地の図書館の事象や文化事業のことを勉強してきた。この領域でわたしが一番初めに書いたのは1983年のことで,満鉄奉天図書館の館長衛藤利夫のことを論じたものであった。決してよい出来の論文ではなかったが,それでもあまりこうした研究もない時代で,それ以降に外地図書館の「図書館報」や満洲の年鑑類も復刻刊行され,また関連の研究も見られるようになり,荒れ野にひとクワをいれるのに少しは貢献できたかなと自負はしている。
 満洲の出版事象について通史を書くというのはわたしにとっての念願だった。図書館にせよ文化活動にせよ,その基層には刊行事業や出版物があるわけで,これらの領域を往きつ還りつしながら満洲の出版統制や出版団体,出版活動のことをこつこつと調べてきた。そして今回ようやく『満洲出版史』として刊行することができたという次第となった。
 言うまでもなく,日本の敗戦によりこれら満洲の出版活動や図書館,文化事業は消失していて,関連する資料は必ずしも日本に残されているわけでもなく,図書館などの所蔵も体系的ではない。また中国に引き継がれて遺されてきた資料も完全ではなく,その閲覧についてはなかなかハードルが高くてずいぶん苦労もした。そんな状況の中でともあれこうして満洲出版の通史の形で刊行でき,しかもその本により賞をいただくという栄に浴し,ほんとうにありがたいことだと思っている。
 中国東北部の旧満洲地域には幾度か資料調査に出向いたが,調査を終えた後の時間や,図書館が休みの日など,旧満洲時代の都市地図を持ってできるだけ現地を歩くことを心がけた。あの時代には戻れなくとも地理的な感覚を身につけておきたいと考え,また都市の変貌の実情も体感しておきたいと思ったからである。それらは図録にして刊行もしたのだが(『展示図録満洲図書館史』『展示図録終戦時新京蔵書の行方』),今回のこの本に,そうした気配があるかどうかはわからない。だがそのいわば現場感覚だけは持続させて,今後もいっそう精進していきたいと考えている。
 末筆ながら,厳しい出版状況の中,本書を刊行いただいた吉川弘文館の編集者の方がた,また編集実務にあたってくださった精興社のスタッフの皆様にこころよりお礼を申し上げたい。


 
【奨励賞】

 牧野智和 著
 『自己啓発の時代――「自己」の文化社会学的探究』
 (勁草書房


[審査結果]

 本書は,現代日本における「自己啓発」を,出版メディアを対象とした内容分析を中心に明らかにしようとするものである。本書は,そのサブタイトルにみるように,出版活動そのものの解明を第一の目的としてはいない。しかしながら,その研究対象である自己啓発関係の出版物や研究アプローチは,新規性に富み,堅実である。
 すなわち,ベストセラーとなった自己啓発書,就職マニュアル本,女性ファッション誌,ビジネス誌などを対象に,該当書籍・記事の本数や著者の属性,ジャンルなどによる数量的な分析と,雑誌記事など具体例を挙げた時代による変化の分析が組み合わされた内容分析を展開している。読者や送り手へのアプローチではなく,メディアの内容分析により書き手の変化やメッセージの変化を導き出す。その点ではオーソドックスなマスコミュニケーション研究の手法に則っている。
 このような研究方法は,今後の出版研究に多大な裨益をもたらすことが期待される。以上のようなことから,日本出版学会賞奨励賞に値すると判断した。


[受賞の言葉]

 牧野智和

 この度は,歴史ある,すばらしい賞をいただき,大変光栄に思っています。
 本書のもともとのコンセプトは,「『自分探し』の社会学」というものでした。もう少し説明すると,「自分探し」という言葉に象徴されるような,自分自身の内面を探ろうとする心性が日本においていつ頃,どのようにかたちをなしていったのかを考えてみたい――これが本書およびそのもとになった博士論文のもともとの着想でした。
 ところが,最初に調べ始めた女性向け雑誌『an・an』では,「もうひとりの私を探す」(1997),「私って,誰?」(1999)といった,「自分探し」的といえる特集が1990年代中頃以降に組まれ始めるのですが,「もっと自分を好きになろう!」(1996),「もっと愛されるために,恋愛力を鍛えよう!」(1999)など,自分を受け入れ,高め,変えていこうとする志向をもった特集も同時期以降組まれるようになっていました。
 他の資料をみても,自分の内面を知ろう,探ろうとする文言と,自分の内面を鍛え,変えようとする文言が同じように躍っており,近年になるにつれ,後者がその勢いを増してくるように私はみえました。いってみれば,ものの考え方,振舞い方,働き方,生き方などを扱う,しかし読者層は必ずしも同一でない各種のメディアが,同時多発的に「自己啓発化」していったようにみえたのです。そのような「発見」を経て,本書のコンセプトは「自己啓発の社会学」へと改められたのですが,現代的自己論をテーマとする同書が日本出版学会の奨励賞をいただけたのはまさにこの点,つまり各種の(活字)メディアが同時多発的に自己啓発の方向へ舵を切ったことを追いかけたところにあるのだと思っています。
 このように,気づいたら出版研究になっていたという本書ですが,今後は,出版に関する研究をより自覚的に行っていくことになりそうです。というのは,本書の書評(会)においては異口同音に,自己啓発書の読者はどのような人々で,またどのように啓発書の情報を受け取っているのか,という質問が提出されていたからです。加えて,啓発書の著者や編集者はどのような意図をもって,著作を送り出しているのかということもまだ検討の余地があるように思います。今後,これらの「宿題」に取り組むことにしたいと考えていますが,その際は日本出版学会のみなさまからのご指導・ご鞭撻をいただければ幸いです。何卒,よろしくお願い申し上げます。


 

 なお,磯部敦著『出版文化の明治前期』(ぺりかん社)は,オリジナリティーの高い力作であることは確かであるが,一著書としてみた場合,第一部の「東京稗史出版社研究」と第二部の各論考とでテーマが分離しており,明治前期の出版状況を論じる著書として,その点が欠点となっている。第二部に書き下ろし論考を加えるなどして,テーマとして一貫性のあるものにするとよかったのではないか。その点が返す返すも惜しまれる。力量のある研究者なので,次の著作に期待して,今回の授賞は見送ることとした。