近代日本の絵本と住吉大社御文庫蔵書――第2回調査報告  大橋眞由美 (2009年5月 春季研究発表会)

■ 近代日本の絵本と住吉大社御文庫蔵書
  ――第2回調査報告 (2009年5月 春季研究発表会)

 大橋眞由美

  本研究は,近代日本の大阪資本絵本の成立と大阪の出版文化の変遷を解明することを目的として,住吉大社御文庫蔵書(7,701点,24,600冊)の一部,近代の絵本と関連資料の調査を行うものである。具体的には,2007年11月から2年間に計4回,約300冊の御文庫蔵書を,大阪府立大学学術情報センター図書館に借り入れ,デジタルイメージを作成する。今回の発表は,その第2回調査の報告である。
 第2回調査(2008.5.22-8.28)では,第1回調査(2007.11.1-12.25)を踏まえ,心斎橋筋を所在地とする発行元から刊行された出版物を中心に調査した。ここでは,輝文館と田村九兵衛の出版物に焦点を絞り,2社の比較から見えてくることをまとめとする。
 輝文館(大阪市東区備後町四丁目九十一番屋敷)のものは,『大阪パック』合本4冊(第三年〔1-10,18-24〕,第四年〔1-10〕,第十六年〔11-24〕,第十七年〔1-10〕,計51冊),および『赤雑誌』5冊〔1-5〕である。
 『大阪パック』(編集兼発行人:金子鐵治,印刷人:植田熊太郎,印刷所:アルモ印刷合資会社,発行所:大阪パック社,発売所:輝文館)は,月2回の発行であり,1906(明治39)年に赤松麟作(洋画家)が創刊し,何度か誌名を変えながらも,1950(昭和25)年まで刊行された漫画雑誌であった。「御文庫」には,1908(明治41)年,1909(明治42)年,1921(大正10)年,1922(大正11)年刊行のものが奉納されている。
 『赤雑誌』(編集兼発行人:長尾倉吉,印刷人:植田熊太郎,印刷所:井上活版所,発行所:輝文館)は,1909年1月~5月に刊行されたものであり,表紙標題を「天下一品 赤雑誌」としている。表紙・裏表紙はカラー印刷(表面4色,裏面1色)の別紙,本文はモノクロ印刷(墨1色)の記事(21頁)と国鉄汽車時刻表(3頁)で構成されている。『大阪パック』よりも記事量は多く,漫画風の挿絵が挿入され,性愛を示唆した内容が含まれている。なお『大阪パック』第三年24号,第四年2・3・4・5・6・8・9・10号には,『赤雑誌』の広告が掲載されている。
 田村九兵衛(大阪市東区南久太郎町四丁目十三番)あるいは田村熈春堂(同所)のものは,『新編料理』(青木恒三郎編,1918)1冊,『商人智識之海』(宇野直次郎著,1900)1冊,『露西亜征伐軍歌』(東洋散人著,田村九兵衛編,1904)1冊,『心中物競』(1914)1冊,計4冊である。この他に「御文庫」蔵では,1796-98(寛政8~10)年刊の『摂津名所図会』の奉納記と刊記にその名を記している。
 『新編料理』(目録上の標題,内題)は,表紙標題を『四季  和洋新料理』とした,和装活版によるものである。この編者・青木恒三郎は銅版印刷で有名な書肆であったが,この頃には,発行所としての活動を停止している。
 第1回調査報告で示したように,輝文館と田村九兵衛は,子ども用絵本も刊行している。輝文館の絵本は,コマを使用した漫画表現のものであり,作者不明の両面印刷・中綴じ製本の『電車パック』(1910)などの4冊である。この社は,近代になり営業を開始し,戦後にまで継続する息の長い出版活動を展開している。他方,田村九兵衛のものは,巌谷小波監修の絵本叢書《サゞナミヱホン》(1919)18冊であり,近隣4社で「イタナ会」を結成し発売したものである。これらには,明らかな改作を含み,東京資本絵本との類似性を指摘できる。近世から出版活動を行っていたこの社は,大正末頃に出版活動を終了している。
 輝文館の活動は,近代家族の暮らしの一端を垣間見せてくれる。この社は 漫画という表現方法によって政治や経済,そして社会をパロディーとし,男女間の性愛も取り入れて,雑誌という近代的なメディアによって人びとに繰り返し情報を提供しており,近代家族の核ともなる子どもの文化にも関与している。『大阪パック』は『東京パック』(1905創刊)の模倣から出発しているが,著名な作者に頼らず,出版期間を長くしている。輝文館の出版物には,都市文化のみならず,地方の人びとの心性にも目を向けた視角の広さが備わっている。
 一方で,田村九兵衛の活動は,近代家族の形成によって心斎橋筋の文化が変容していく様子を垣間見せてくれる。近世から心斎橋筋という都市文化の中心に所在していたが,決して中心的存在ではなかった田村九兵衛の近代の出版物には,心斎橋筋の出版文化が衰退していく過程がありありと記録されている。近代家族とは,都市に暮らす新中間層のみを指しているのではなく,農村部の大家族から新中間層を含む核家族への分散・移行を意味するものである。そこに気づかず,東京という都市文化の模倣を選択した田村九兵衛の活動は,すでに流通が全国展開し,東京の出版物が流入していた近代の大阪において,自ずと衰退への道筋を歩むものであった。
 近代になり活字メディアが増加したとはいえ,聴覚メディアと視覚メディアもさらに発達し続けた。音読から黙読に移行する読書空間の近代化にあって,一目で理解できる漫画という表現形式は,一般大衆にとっては身近な視覚メディアとなった。発行元は,そのような表現形式を出版物に取り込み,より魅力的に発信していくための時勢を読む力を求められた。大正期におけるこの2社の盛衰は,その分析力の差であったと推察される。
 なお,本研究は,2007年度の財団法人トヨタ財団研究助成,大橋眞由美「近代日本の絵本に関する研究-住吉大社「御文庫」および公共機関蔵の大阪資本絵本と関連資料調査」(助成番号D07-R-0057)の一環として取り組むものである。

(初出誌:『出版学会会報125号』2009年10月)