森田草平『輪廻』をめぐる問題  牧 義之 (2010年4月 春季研究発表会)

■森田草平『輪廻』をめぐる問題
 ――検閲,伏字,ページ差し替え,差別問題
 (2010年4月 春季研究発表会)

 牧 義之

 本発表では,森田草平の長篇小説「輪廻」を取り上げ,発売遅延にいたる事情,付された伏字の版による異同を考察し,当時の時代状況から,特に差別用語を表す伏字が使われた要因を浮かび上がらせた。
 「輪廻」は雑誌『女性』に大正12年10月から14年12月号まで,25回にわたって掲載され,15年1月に新潮社から単行本が刊行された。作者自身も自信作と位置付けている作品である。新潮社版『輪廻』は,畑中繁雄『日本ファシズムの言論弾圧抄史』に図版付きで紹介されているが,多くの伏字,頁の切り取り削除が行われた。小田切進『新潮社八十年図書総目録』や,その他の主な発禁年表には『輪廻』発禁の記載があるが,その一方,『昭和書籍雑誌新聞発禁年表』や官憲資料である『禁止単行本目録』には発禁の記載は無い。この違いはどう考えたら良いのだろうか。
 単行本刊行直後,15年1月15日付『読売新聞』の『輪廻』広告には,「製本出来,支上に配布せんとして,突如,数十箇所の改刪を施さゞるを得ざる事となり,数日間,発売遷延の止むなきに至れり。読者諸氏の御諒承を乞ふ。(但,某々の新聞に発売禁止とあるは誤報也。)」とある。雑誌『新潮』15年2月号にも同様の広告があり,発売禁止ではなく「発売遷延」であり,新聞で誤報されたことが記されている。『輪廻』が発禁か否かを考えると同時に,頁の切り取り削除の存在を考えると,その流通に関して,発表者は以下のように推測した。連載終了後,15年1月初旬の発売を目指して組版,印刷,製本が行われたが,当局による〈内閲〉の結果,発売直前に不穏箇所が指摘され,やむなく発売を延期し,頁の差し替えを行い,1月下旬頃再発売した。正式な発禁処分ではないので,重版にも「改訂版」とはしていない。発禁ではなかったことは,国会図書館蔵の内交本が,頁が削除されたものであることからも確認できる。単行本発行にあたり,一つの騒動とも言える事情があった『輪廻』であるが,その伏字,頁削除を点検してみると,当時の言論状況の一面が浮かび上がってくる。
 伏字に着目してみると,特に『輪廻』の主題を表す箇所が伏字になっていることが分かる。それは,性的描写と被差別部落を示す単語である。特徴的な「○○○」の羅列で表される伏字は,性的な描写に関わる部分であり,それが「当局の忌諱に触れ」たことが発売を「遷延」し,発禁処分と世間に思わせた要因であった。性的描写に関しては,頁削除が行われた部分が特に問題になった部分であり,描写の未伏字化が削除の対象となった。しかし,その削除は完全なものではなく,版による異同が発生した。
 差別用語を表した部分に関しては,性的描写が「○○○」で表されるのに対して,「××部落」「△△」「×××」と表記される。これは特に単行本化にあたり区別されたものであろう。差別用語の伏字に関しては,新潮社版刊行直前に森田が「文芸の創作に関して水平社同人諸君に御相談」(『文芸春秋』大正14年12号)を掲載して,副主人公として「村の番太郎出身」者を起用したことについて,「作者がそれに対する十分の理解と尊敬とを以て取扱つてゐる」ことを記している。「穢多」「新平民」の表現については,「往昔の呼称」だが「卑称」ではなく,「たゞ概念の上を区別を表はすに過ぎない」ことを強調し,水平社同人の理解を求めている。この文章から始まる森田と水平運動関係者とのやり取りは,桑原律の研究に詳しいが,その伏字化,使い分けには,森田自身が関わっている可能性が高い。しかし森田は,明らかに編集者の意図のもとに伏字がなされたとし,自身は「已むを得ない処置」としながらも,本文中に使用した意図として,差別が目的ではないことを強調している。また,差別用語が伏字にされていない箇所があるが,実際は「新平民」以外の単語が頻出する場面を中心にして,伏字化している傾向がみられる。つまり,頻出の度合いによって決められていると想像出来る。
 このように,文学作品において,差別用語を用いることは,かなり複雑な問題をはらんでいる。島崎藤村『破戒』の本文変遷,大正15年前後での,被差別部落を取り上げた関係書の発禁(菊池山哉『穢多族に関する研究』,高橋貞樹『特殊部落一千年史 水平運動の境界標』等)が同時代の出来事として挙げられる。大正後期は,水平社等による解放運動があり,差別部落やそれを表す用語について,文学作品の中で問題視され始めた時期でもある。森田の「御相談」は,広告的意味合いも強いが,このような時代状況の中で,かなり用意周到なものであり,問題含みの作品を出すための戦略とも考えられる。『輪廻』は性的描写では当局に,差別用語では解放運動の関係者に,というように,多方面に対して問題含みな作品であると言える。