雑誌ジャーナリズム復権に向けた調査報道の意義と可能性 大重史朗 (2013年5月 春季研究発表会)

雑誌ジャーナリズム復権に向けた調査報道の意義と可能性――出版文化存続への一考察
(2013年5月 春季研究発表会)

大重史朗

 わが国の出版文化の一翼を担う雑誌ジャーナリズムは,昨今の出版不況と若者の活字離れが影響し,売り上げ部数が低迷を続けている上に,編集部側は経費節減のため,人員やページ数も抑制している現状がある。1990年代ごろまでは50万部以上の発行部数を誇っていた老舗の週刊誌でも,現在の発行部数や売り上げ部数は,それぞれ,当時の半分以下になっている。一部の雑誌はウエブ版と併用し,課金制なども一部導入し読者獲得に努力しているが,新聞同様,インターネットが盛んな時代に,紙媒体に加えてウエブ版として課金をした上で情報発信したとしても,定期購読者層の獲得は相当,限られている。
 そもそも雑誌,とくに週刊誌は,新聞やテレビで報じることができない世の中の動きや真相を細かく取材・分析した記事を載せてきたのが特徴で,社会人がいわば効率よく「世渡り」をしていく上での「虎の巻」的な側面をもっていた。しかし,インターネットを通じて「検索」すれば,だれでも瞬時に情報を得られるようになり,一般市民の立場からは「ネットの情報は無料で得られる」という意識が高まり,紙媒体である雑誌に金を出してでも得たいと思うだけの情報は,実際問題として少なくなっているのが現状である。
 雑誌製作者側も政治や経済など「硬派もの」をはじめ,かつてのような有名人のスキャンダル話などには読者の興味は薄弱化し,支持を得られず,どんな特集を組んでも売り上げに直結し「大スクープ」に結びつく企画は,なかなか思いつかず,また,努力して獲得することもままならない,といった現実に悩まされているのが現状である。
 しかし,長い目でみると,雑誌文化は文芸春秋や中央公論,婦人公論など日本社会の言論・表現の自由を貫くため,続いてきた日本の伝統文化でもあり,単にウエブ時代にとってかわられるものだとは割り切れない面がある。かといってこれまで通りの編集・発行方針を続けていたのでは,部数減が進むのを,指をくわえて見ているだけとなりかねない。
 一方,同じ活字文化の一つである新聞の報道部門が,ネット情報や検索サイトとすみ分けるために力を入れているのが,新聞社や記者個人の取材力を活用した「調査報道」である。これまでにもリクルート事件や遺跡発掘捏造事件報道のスクープ記事は新聞社の十八番とみられてきたが,かつて,立花隆氏がスクープしたロッキード事件は,文芸春秋を舞台に脚光を浴びた報道手法だった。現在,調査報道は,「権力や権威によって社会的に認められている機関や組織,個人が隠したがる不正や腐敗,怠慢の事実を自らの調査能力で発掘し,自社の責任で報道すること」(注1)と定義づけられている。雑誌ジャーナリズムの生き残り策として,この調査報道の形態に目を向けることが必要ではないだろうか。
 しかしながら,調査報道は,いつ記事化して結果を出せるか不透明である一方で,人件費など,経費がかかるジャンルである。そこで考えられるのが,米国で盛んな非営利組織(NPO)の形態をとる調査報道機関が日本でも今後,出現し始め,調査報道NPOといった組織と既存の雑誌メディアとが協力して取材活動ができないかということである。
 NPO法人は非営利組織のことで,民間でありながら営利を目的としない組織であると定義づけられる(注2)。1998年に特定非営利活動促進法(いわゆるNPO法)が成立して以来,福祉や教育,環境保護などさまざまなジャンルでNPOの設立が盛んになっている。NPOは組織である以上,社会にかけがえのない,社会的欲求を満たすことが求められている(注3)。
 こうした定義づけから,「公共の利益」のために真実を追求する報道活動は,NPO組織の存在と親和性があると考えられる。ただ,調査報道NPOが国内に存続していくためには,日本人の寄付意識が強まることが期待される。NPOへの寄付文化がさらに国内で広がれば,調査報道NPOの運営基盤も確固たるものとなることが予想できる。ただし,NPOとして寄付を受けても,単に仕事を請け負う立場ではなく,公共の利益に則った,報道の中立性は保たれ続けられることを忘れてはならないといえよう。

【参考文献】
(注1)小俣一平「調査報道の社会史」『放送研究と調査』(2009年3月)
(注2)田尾雅夫・吉田忠彦『非営利組織論』有斐閣(2009年11月)
(注3)田尾雅夫・川野祐二『ボランティア・NPOの組織論』学陽書房(2004年4月)