「シェイクスピア全集」松岡和子(2023年4月16日)

■ 翻訳出版研究部会 開催報告(2023年4月16日開催)

「シェイクスピア全集」

 講師: 松岡和子(翻訳家・演劇評論家)
 司会: 柴田耕太郎(翻訳会社(株)アイディ会長、翻訳出版研究部会長)
 日本シェイクスピア協会後援

 
 翻訳出版研究部会では、4回シリーズで「翻訳全集・選集」をテーマにした研究部会を開催しています。第2回となる今回は、28年かけてシェイクスピア劇33冊37作品全ての翻訳を成し遂げた翻訳家・演劇評論家の松岡和子氏を講師にお迎えし、シェイクスピアとの出会い、翻訳を通して気づいたこと、翻訳家という職業などについて語っていただきました。

■松岡氏談 シェイクスピア劇が上演されるのを見るととても面白い。でも私には難しくて歯が立たないと思い、英米現代劇の翻訳を始めました。それがたまたまシェイクスピア劇の引用の多いものばかりで、まるで深謀遠慮でシェイクスピア翻訳の準備をして行ったように見えるかもしれませんが、そうじゃありません。
 初めて1993年に演出家の串田和美さんからシェイクスピア劇(『夏の夜の夢』)翻訳をオファーされました。その後ちくま文庫からシェイクスピア全集を出すお話をいただき、同じころ蜷川幸雄さんが彩の国さいたま芸術劇場でシェイクスピア全作品を演出することになり、「ぜんぶ松岡さんの訳でやるよ」と言ってくれたのです。運が良かったと思います。
 女性が訳すのだから、女性の登場人物の言葉遣いは今のものにしようとだけ思っていましたが、原文の解釈についても、先行訳は「男の解釈」だと思えるところが出てきました。
 例えば『ロミオとジュリエット』のいわゆる「バルコニー・シーン」。シェイクスピアの原文でジュリエットはロミオに対してyouではなくthouと言っています。youは丁寧な「あなた」、thouはくだけた「お前」という感じ。ロミオとジュリエットの関係は対等で、ジュリエットは決してロミオにへりくだってはいないのです。ところが先行訳は「ロミオ様」と呼んだり、「結婚してくださるなら」「お伴いたします」などと言ったりする台詞が多い。それは女の読み方じゃない、女の眼で見ると日本のシェイクスピア訳は歪められていると思いました。
 『マクベス』では、マクベスがIf we fail?と言ったのに対し、マクベス夫人がWe fail?と返す場面があります。私は始め、「もし、しくじったら?」「しくじる?」と訳しました。でも読み直したら、どちらの台詞にもweがある。ここに一卵性夫婦のような絆の強さが現れていると感じて、「もし、しくじったら、俺たちは?」「しくじる、私たちが?」と直しました。そしてweが出る台詞に注目すると、やがて二人の絆が破れそれぞれの孤立した死へ向かう流れがはっきり見えてくることに気づいたのです。
 また『マクベス』には、The night is long that never finds the day.という一行があります。先行訳は「長い夜もいつかは明ける」というような訳し方をしてきました。でもこの原文をそう読むのは変でしょう。英米人に尋ねると、なんでそう読めるのかとみんな仰天していました。いくら先行訳があっても、どうして書いてある通りに訳さないのか。私は「明けない夜は長いからな」、後に「朝が来なければ夜は永遠に続くからな」と訳しました。既存の諺にAfter night comes the day.というのがあって、シェイクスピアはそれをひねった台詞を書いたのですね。ところが最近出た新しい訳がまた「朝を迎えない夜はない」に戻っていて、ガッカリさせられます。
 シェイクスピア劇では、母親と娘の関係よりも父親と娘の関係のほうがはるかに多く取り上げられています。ただ、そこにシェイクスピアの女性や母親に対する特別の意識が現れていると思い込むのは危険です。シェイクスピアの時代、若い女性の役を演じるのは少年俳優でした。ジュリエットを演じたのは才能豊かな少年だったので、シェイクスピアはジュリエット役にどんどん台詞を与えたのですね。でも、母親役ができる成人した男優を見つけるのは難しかった。そういうキャスティング事情から、シェイクスピア劇には母親の登場が少ないのではないでしょうか。シェイクスピアの深層心理を読むのもいいのですけど、当時の劇団の事情を考えてみると作品の捉え方がずいぶん違ってくると思います。
 翻訳業では、小説を訳してもベストセラーにでもならなければあまり収入は得られないので、大学の教員をして、メインの収入は大学の給料で確保しながら、専門分野の関係書の翻訳をするという例が多いですね。私も大学に勤めていたのですが、大学とシェイクスピア翻訳の二足の草鞋を履くことに限界を感じたのです。大学を定年前に辞めては駄目だよ、定収入を軽く見てはいけないよと、親にも周囲にも言われました。軽く見てなんかいないのです。でも、もう限界でした。離婚は、亭主が嫌いなだけではできない、亭主より好きな人が現れなければできないと言われます。私にとってはシェイクスピアの翻訳が「亭主より好きな人」だったのです。それで思い切って大学と縁を切り、全作品翻訳に至ることとなりました。まあシェイクスピアの作品は活字になると、『ハムレット』が二十何刷とか、マイナーな作品も含めて毎年何冊かは増刷になり、翻訳者に印税が入るという良さがあります。他の劇作家の作品ではそれは望めません。

■この他、命令文の訳し方や日英語の語順の違いなど、種々の台詞についての語学的・文学的な考察から、現代の俳優のあり方まで、シェイクスピアのテクストと劇場の現場を往還する松岡氏ならではの興味深い話題が尽きず、時間切れが非常に惜しまれる講演でした。締めくくりに「わからない英文があったら自分の手で何度も書いてみると、文の構造がスーッと入ってきます。私もいつも9Bの鉛筆で書いていますよ」という具体的実践的なアドバイスを頂戴して散会となりました。
 
日 時: 2023年4月16日(日) 午後1時~午後2時30分
会 場: 日本出版クラブ
参加者: 23名(うち会員7名)

(文責:神長倉伸義)