近代日本の購書空間における書棚  柴野京子 (2007年9月21日)

 歴史部会   発表要旨 (2007年9月21日)

近代日本の購書空間における書棚

 近代の出版流通を考えるひとつの試みとして,マテリアルとしての「書棚」に関わる調査の過程を報告した。
○近代初期の商業空間における書棚
 日本の書店において,近代的な開架陳列が行われるようになったのは,明治20年代から30年代ごろと考えられる。昭和にあっても旧来の坐売りが残る店は存在したが,石井研堂『独立自営 営業開始案内 第二編』(博文館,1913年)には店舗の構成としてこの開架方式が紹介されている。
 開架・土間化のきっかけとしては,東京の書店の影響によるもの,かつて頻繁であった火災焼失による再建によるものがみられる。また,当然ながら和装本から洋装本への変化とも相関がある。開架式書店の条件としては,客が本の系統を理解し,また棚が選択可能な配列になっていることが必要であり,これによって書店の在庫は,店の者のための配列(ストックヤード型)から,客のための配列へと変わっていくことになった。
 この配列に関しては,図書館や商業者による目録の開発によって,書物を検索するための分類が試行錯誤されたことにも注目したい。このように,店員が出してくるものを待っているのではなく,客が中に入って店にあるすべての本を見ることができ,そこからほしいものを自ら選ぶ開架式の書店においては,個人の関心領域が,商業空間の分類の中で構造化されることになった。
○個人空間の中の書棚
 いっぽう一般家庭に書棚が現われるようになったのは,時遅れて大正期後半であろうと推定される。都市的な中間読者層が醸成されるこの時期,東京では既製の洋家具業者が登場,関東大震災を契機として手頃な大量生産家具が広がった。家庭内に書棚がおかれることによって,個人の関心領域は内面の秩序として反復され,他者にも認知されることとなる。それは同時に,教養を「見せる」ための書棚,それをあらかじめパッケージとして提供しえた円本の意味にもつながってゆく。
○パッケージ化される書棚
 「書棚」のメタファーを提示した円本と同時期に創刊した岩波文庫は,円本へのアンチ・テーゼであったにもかかわらず,補充スリップ,ジャンル別カラー帯によって,人が本と出会う書店の棚を「パッケージ化」するものであった。時期は未詳ながら,岩波文庫においても特注による個人の専用棚が販売されていたという経緯は,商業者のつくる構造と個人空間の構造を一致させた例として興味深い。
○付記
 報告後のディスカッションでは,今回の報告では省略した面陳列との関係,本の装丁,棚や分類に関する情報の提供など,数多くの興味深いコメントが参加者から寄せられた。こうした議論をふまえながら,商業流通にとどまらず,書物が流通する多様な局面において人と本との接点がどのように形成されてゆくのか,というメディオロジー的考察を今後も深めてゆきたい。
(柴野京子)