昭和前期農村における活字メディアの展開と受容  河内聡子 (2009年2月27日)

 歴史部会   発表要旨 (2009年2月27日)

昭和前期農村における活字メディアの展開と受容
 ――産業組合の出版活動を中心に

河内聡子

 本論は,昭和前期の日本農村社会を中心に発達した産業組合が組織の普及・拡大を果たしていくうえで確立したメディア・システムを明らかにすることで,当時の農村社会の情報環境の一側面を具体的に解明していこうという試みの,その一端を担うものである。産業組合は,組合員を獲得していくために様々な方法によって農村社会に向けた情報発信を展開し,地域の細部にまでわたるメディア網を形成した。その結果,昭和十五年頃には全農家を包摂するほどの一大組織として,農村社会に大きな勢力を誇ることとなった。
 産業組合が行ったメディア活動の一つとして,出版物の発行事業が挙げられる。産業組合組織の指導・教育の中枢機関である中央会が,機関誌『産業組合』や『産業組合宣伝叢書』といった叢書類などを年平均で三十点余り発行したほか,地方の各組合によっても諸種の刊行物が数多く発行された。これらの出版物は,主に組合の役員および組合員に向けて,教育的な意味合いから発行されたものであった。
 一方で未加入者も含めた一般農村大衆への宣伝としても発行され,その代表的なものが雑誌『家の光』である。大正十五年に創刊した『家の光』は,発行の主な目的は産業組合の宣伝にあったが,体裁は大衆向けの家庭雑誌であり,その最大の特徴は農村生活者を指向して作られた誌面内容にあった。当時,ジャーナリズムは都市を中心に展開されており,農村社会は基本的に視野の外にあったが,『家の光』の登場により農村生活に適応した情報の収集・発信が行われた。百万部以上の発行数を誇る雑誌として成長した『家の光』の読者の中心は,それまでは雑誌購読率の低かった中小産以下の農民であり,『家の光』の発行事業は,活字文化を充分に享受していなかった人々を開拓し,農村社会に新たな読者層を生じさせる契機となった。
 産業組合は,出版事業で自ら積極的な情報発信に努める一方で,組合が運営する図書館の設立や,「農村文庫」の設置などによって一般の出版物の提供を行い,産業組合の目線による蔵書が農村社会に形成されることとなった。産業組合によって用意された読書環境は,農村大衆が活字文化に触れる機会を増させたが,一面において,産業組合によって取捨選択された情報を,農村大衆が受容したことも意味している。
 産業組合は,出版活動や図書提供などによって活字メディアを操作することで,農村社会の情報を一部で統制し,組織の存在を肯定する世論の構築を戦略的に図っていったのだと考えられる。
(河内聡子)