「戦後少年誌の変容と「ストーリーマンガ」の成立」金 泰龍(2022年11月30日)

■ 日本出版学会 雑誌研究部会 開催報告(2022年11月30日開催)

「戦後少年誌の変容と「ストーリーマンガ」の成立」
 報告者:金 泰龍氏(東京大学大学院)

 
 東京大学大学院の金泰龍氏による報告を中心に雑誌研究部会を開催した。金氏は、マンガ研究で利用される「ストーリーマンガ」というキーワードを出発点に、1950年代の雑誌における漫画の位置づけを巡る考察を進めた。また、これまでのマンガを巡る議論ではメディアへの着目が不足しており、さらには、マンガと雑誌との関係性が自明のものにしたテキスト/表現レベルの議論に重点が置かれ、マンガとその主なメディアになってきた雑誌の関係性が十分に検討されてこなかったとの問題提起を行った。

 このような問題意識のもとで、まず戦前から戦後の少年誌の歴史を振り返り、その中からマンガが位置づけられる過程を検討した。本来少年誌は教育・啓蒙的メディアとされ、活字の児童読物が中心となりマンガは副次的・従属的な存在とされていた。しかし、1950年代からヴィジュアル性・娯楽性に焦点を当てた少年誌が登場し、マンガの比重と役割が変わり、1950年代後半頃には 「ストーリーマンガ」類の長編連載マンガが少年誌の主流になったことを確認した。

 後半では、「悪書追放運動」をめぐる言説の中でマンガがどのように扱われていたかを検討した。「悪書追放運動」はよくマンガの表現/形式に関する不当な弾圧を象徴する事件として言及されるが、実際に当時の言説はマンガそのものを自律的に捉えなかった。もちろん、マンガの「俗悪さ」が問題にされているが、それはあくまでも教育的であるべき少年誌のメディア性に関する問題として議論されており、擁護論でさえ読者の主体的選択を前面に出せ、少年誌の娯楽性志向を擁護し、それを担うコンテンツとしてマンガの価値を認めるほどのものだった。今日のマンガ史/マンガ研究で「ストーリーマンガ」の成立はよくマンガの形式/表現上の成就として論じられる場合が多いが、それは雑誌におけるマンガの制度化がある程度定着した1970年代以後に形成された枠組みを前提にしているもので、少なくとも「ストーリーマンガ」が少年誌の読物として制度化されていく1950年代の人々がマンガに持つリアリティーとは距離があることを明らかにした。

 以上のような報告の後に質疑応答がなされた。その中では、報告で言及なされなかった『漫画少年』について、今回はあくまでも1950年代の少年誌における「ストーリーマンガ」の制度化に着目しているので、議論の範囲は大手出版社の少年誌に限定しており、『漫画少年』は別の文脈で論じること(詳細は氏の博士論文で扱われる予定とのこと)や、漫画を巡る言説や読者を巡る研究の不足などについての議論がなされた。
 
日 時: 2022年11月30日(水) 午後7時00分~8時30分
会 場: オンライン開催
参加者: 33名