「出版流通の側面から見た出版の自由」 長岡 義幸 (2010年11月9日)

出版流通研究部会 発表要旨(2010年11月12日)

「出版流通の側面から見た出版の自由」

-出版産業の行く末と「有害」をめぐる半世紀の攻防-

長岡 義幸

 

1.   出版物にかかわる規制

マンガなどの表現物に対する規制は,大きく分けるとふたつある.わいせつか否かと「青少年に有害」か否かだ.

わいせつ図画とされる表現物の販売・頒布などは,刑法175条によって取り締まりが行われている.関税法,郵便法でも,わいせつ物の取り締まりが可能だ.ただ,一部にマンガの掲載された雑誌がわいせつ物として摘発された例は多々あるものの,マンガ誌やコミックス(マンガの単行本)そのものの摘発は数えるほどしかない.

「青少年に有害」な図書類は,自治体の制定する青少年条例(青少年保護育成条例・青少年健全育成条例などと呼ばれる)によって,18歳未満への販売が禁止されている.

インターネット上の「有害情報」については,「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律」(青少年インターネット環境整備法)によって,プロバイダなどに閲覧制限の措置をとるよう努力義務が課されている.性的表現のあるケータイマンガも,青少年への閲覧制限の対象だ.

法律による規制以外では,国が性的・残虐的・暴力的な「有害情報」の社会的排除のための指針やガイドラインを設け,省庁や自治体,住民団体の環境浄化活動を支援する形式がとられている.

警察は,「有害情報」を含む「有害環境」を防犯・保安・治安上の障害物とみなし,国家公安委員会の定めた「少年警察活動規則」などを根拠に,地域住民とともに環境浄化運動を推進するなどの取り組みを行っている.「行政的手法」を駆使した社会的包囲網の形成だ.さらに,出版業界や関連業界では,青少年条例に対応・連動した自主規制を実施している.

マンガ規制は,これらの条例や行政指導,自主規制によって「青少年に有害」というロジックで行われるのが一般的だ.

一方,「児童買春,児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」(児童ポルノ禁止法)は,児童に対する性的搾取や性的虐待から児童を保護するために,実在の児童の性交・性交類似行為を撮影した児童ポルノの製造・提供などを禁止している.

ところが,実在の児童の人権を守るための法律であるにもかかわらず,子どもの登場する性的描写のある創作物を「準児童ポルノ」として規制対象に加えようとする動きがある.妄想であっても,子どもを性的な対象としてみることが,子どもの人権を侵害するという,従来にない論理だ. 

2. 唐突に「非実在青少年」規制が登場

東京都が青少年条例による販売規制の対象として「非実在青少年」の性的描写を加えようとしているのも,その延長線上のことである.

2010年2月24日,改定案が都議会に上程され,①18歳未満の「非実在青少年」の性描写が描かれていれば「不健全」図書に指定,②従わない出版社には「勧告」「公表」,③児童ポルノの単純所持禁止にかかわる条項を設けて法規制の後押し,④青少年の描かれている「青少年性的視覚描写物」の「まん延」防止を目的に,青少年を性的対象として扱う「風潮」を助長させないための「気運の醸成」を官民で行う責務を課すなど,何でも御座れ状態である.

幸い世論の盛り上がりをみせ,この改正案は,“否決”することが出来たが,石原慎太郎都知事は,99年の就任以来,4回もの青少年条例を行うという異常さを見せている.石原都政が続く限り,表現規制の動きは,止まりそうにない.

再び,12月の都議会には,改定案が上程がされており,規制の対象を「法に触れる性行為や近親間の性行為を,不当に賛美し,誇張したもの」とし,「非実在青少年」の用語を消しつつ規制範囲を拡大した.

漫画家や日本ペンクラブ,出版倫理協議会,出版労連,法律家などは「行政の勝手な判断で取り締まれる余地が大きく,創作活動を萎縮させる」などと反対の声を上げている。

改定案の本質は、表現の自由の規制強化であることに変わりはない. 

3.図書規制の問題点と検討すべきこと

1.「表現の自由」は,「流通の自由」なくして保障しえない.

2.行政に利用される「自主規制」の倒錯→権力との緊張関係が希薄.

3.「表現の自由に値しない表現」という言説の無意味さ.表現の自由に値しない表現をいったい誰が決めるのか.警察や行政にその役目を負わせてはならない.

4.差別表現の問題を考えていくためにも,性表現に対する規制は,議論の障害にしかならない.

5.子どもの「自己決定権」との関係.大人の都合で,「教育」し,「指導」し,「保護」し,さらに大人の勝手な思い込みで「健全育成」しようというのは,子どもの「自己決定権」への侵害ではないか.むしろ「子どもの権利法」こそが必要である.

図書規制は,判例がどうであろうと,表現の自由に抵触するのは間違いない.しかも警察的な発想で規制が行われるのは,民主主義に反する大きな問題だ.それだけでなく,子どもを「保護・育成」しなければならない存在としてみるのか,子どもを権利の主体としてみるのかという,二つの子ども観のせめぎ合いでもある.表現活動を制限することによって,一方に偏した多数派の子ども観を「蔓延」させてはならない.

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長岡さんは,報告に先立ち,「私の自由宣言(仮)」「現行再販制を前提にしたささやかな提案」を行っているが,紙面の都合で,お伝えできないことをお断りしておく.

図書規制の詳しい報告は,長岡義幸さんの新刊書『マンガはなぜ規制されるのか-「有害」をめぐる半世紀の攻防』(平凡社新書)及び既刊の『出版と自由』(出版メディアパル)を参照にしていただければ幸いである.[参加者:会員14名,会員外8名.会場:八木書店会議室]

(文責:出版流通研究部会)