吉田則昭
昨年,偶然に箕輪成男・元日本出版学会会長の「晩学バンザイ」(『出版ニュース』2002年7月中旬号)を拝見し,出版研究30年の薀蓄をもって新聞学博士の学位を授与されたことを知った.実際,先学の会員がいて大変励みになった.かくいう筆者も同慶の至りというわけではないが,この数年間,サラリーマン生活のかたわら,研究を続けてきて,予期せずして立教大学から社会学博士の学位を受けることになった.しかしここに至るまでは,当たり前といえば当たり前な話だが,博士論文執筆のためには先行研究を調査して自分のテーマを定め研究発表を積み重ねるという,井戸掘りにも似た作業を続けなければならなかった.
筆者は戦時期のジャーナリズム史とメディア史の両分野にまたがる研究を専門としてきたが,ここにきてこの数年の苦労をひとまず片付けることができてホッとしている.しかし,戦時期・占領期出版史の資料発掘およびその実証研究がまだまだ残っているので,深く専門を掘り下げるという作業は当分続きそうである.
このところ,筆者も大学で研究・教育活動の一端にも携わるようになって,しばしば専門研究内容の「深さ」と当該研究分野の守備範囲の「広さ」の両方が求められることが多くなったと実感している.とりも直さずこの両者は相反しながらも,つなげていく努力がなされなければならないのである.
本学会においても数年前から筆者が引き受けている『出版研究』の編集作業では,特集企画の原稿依頼や投稿論文の査読などで近年の研究動向を目配りしてみた場合,研究の多様化であろうか,歴史,法律,図書館学,電子出版,等々幅広いテーマが,門外漢の筆者にも否応なしにふりかかってくる.これは学会会員の層の厚さでカバーできるものなのだろうか.いや,何もしないではカバーしきれないのである.
学会活動において,各担当委員などは大忙しで,若輩者の筆者などは当惑する毎日である.現在は会長のリーダーシップの下,各委員が機能しているが,それでもライン部門,スタッフ部門の充実,プレイング・マネージャーの必要性を実感する.学会を学術振興という特定の目的をもった組織体ととらえた場合,一般企業と同様に,もてる資源の配分を考える必要が出てきているのではないだろうか.会員には名士も必要だけど,会員の中からは知の動向を束ねる中間管理職の登場を期待したい.
学会における立場・役割を再認識してみると,自分は執筆活動する研究者なのか編集作業する者なのかいまだによくわからないが,できることとできないことははっきりしてきているようである.理想としては,会員各自が井戸掘りのような職人芸を追求しながらも共同作業で出版学的な知を結集し,隣接研究領域との知の連携を推進していけたらと思う.そうしないと,今進行中のダイナミックな出版研究の動向をつかみそこねると思うからである.