猪口教行
最近,新選組の本を編集者として担当した.
近藤勇がまだ新選組を旗揚げする前,花見の席で,「山守の使いは来ねど馬に鞍,置きてぞ待たん花の盛りを」と詠んだとある.時勢が俺を呼んだ暁には飛躍への道を駆け上がるぞ,という想いを託しているわけで,うまい歌だ.おぬし出来るな,と声を掛けたい気分だが,そのうち,何だかこの歌,聞いたことがあるぞ,と気づいた.
『鞍馬天狗』である.戦後の一時期を風靡した大衆娯楽映画である.勤皇の志士が新選組に追われて窮地に陥ると,どこからともなく朗々たる謡いの声が聞こえてくる.「花咲かば告げんと言いし山里の使いは来たり馬に鞍」.謡いながら天狗参上,大立ち回りの末に志士たちは危機を救われる.この謡曲が『鞍馬天狗』という題名.つまり近藤の歌は,この謡曲を踏まえた本歌取りだと思えた.
ところが先日,「花咲かば告げよと言いし山守の来る音すなり馬に鞍置け」という歌が,源三位頼政(げんざんみよりまさ)の作と知って驚いた.平家追討の兵を挙げたが,時期尚早,むなしく敗れた武将である.
源平時代の古歌が,謡曲に採りいれられ,幕末の近藤勇がそのいずれかを踏まえたことになる.すると,『鞍馬天狗』の原作者,大仏次郎の創造の原点はいかに,と推理したくなる.もしも近藤がこの歌を詠んだことが幕末資料の中にあるとすれば,大仏次郎はそれを見て,謡曲『鞍馬天狗』を踏まえていることに気づき,そこから幕末の中に鞍馬天狗を登場させる発想を得たのではないか.以上は私の思いつきで,何の検証もしていない素人談義であることをお断りする.が,正否は別として,ひとつの名作和歌が時代を越えて生きつづける一例には違いない.
こうした作品(情報)はすべて紙に書かれて流布し,大方は消えた.最後の砦は国立国会図書館である.ではインターネット時代の中,将来,ネット上のみに現れた作品(情報)のうちの「名作」は,いかにして「古典」として残るのか.ネット上の国立国会図書館的なアーカイブが創られることになる.それはいったいどのようなものになるのだろう