現場の力 明星聖子 (会報130号 2011年7月)

現場の力

明星聖子

 かつてある場所で,「編集文献学の不可能性」という文章を書いた(注)。自分が専門のひとつとする学問領域を,不可能だと嘆じざるをえなかったときの感覚を,いま私は思い出している。
 編集文献学とは何か。また,なぜドイツ文学を修めたはずの私が,この聞き慣れない学問領域へ足を踏み入れたのか。この間の事情の説明は,紙数の都合上割愛する。難解で知られるカフカのテクストを読み解こうと苦心惨憺するうち,彼のテクストは解釈する以前に,その土台を築く〈編集〉自体がきわめて難しいことに気づいた―それまでをいうにとどめたい。
 出版学会の会報というこの場においては,むしろ,ではなぜそこから出版学という領域へ越境してきたのか,その点を語るべきだろう。当時の判断を振り返ろうとして蘇ってきたのが,先の感覚である。そう,おそらく,出版学もまた不可能なのだ。
 むろん,どちらの場合もあくまで,〈私〉にとって,という留保が付く。ただし,編集文献学に関して論じたときは,思い切って,日本においては,と敷衍した。なぜ,日本ではそれは不可能なのか。理由のひとつとして挙げたのは,日本の出版文化の特殊性である。もしかしたら,海の向こうでは学術研究者が取り組んでいる問題を,日本では実務者である職務編集者が引き受けてきたのではないか。だとすれば,日本の現在の環境のなかで,人文学研究の土台作りをめぐる理論的な議論を,学者の間だけで展開するのは難しい。これが,「不可能性」という生硬な表現の意味である。
 そして,いましがた乱暴にも,出版学も不可能だといったことの意味は,これのまさしく裏返しである。出版学として日本で現在成り立っている議論を,グローバルに展開しようとしてもさまざまな点で大きな困難があるだろう。しかし,誤解しないでいただきたいのだが,だからこそ,意義があるのである。
 現場の力―三月の大震災以来,私たちは幾度となくこの言葉を口にしている。ここ数ヶ月,私たちは,悲しみと誇りのないまぜになった感情で,日本では現場のひとりひとりが支えているのだということを繰り返し確認している。
 やはり,おそらくそこに解く鍵があるのである。本来ならシステムの上流工程で検討すべき課題を,この文化では,なぜか主に実践の現場が担ってきた。学問の志を持ち,英知の蓄積と伝承に励んできた「現場」。だから,日本では,不可能な学問に挑まざるをえないのである。これがすなわち,越境の理由である。未来を真剣に考えるために,現場の力を学ぶこと。あの辛い春から,その思いは,日々ますます強まっている。
(埼玉大学教養学部教授)

編集部注:「編集文献学の不可能性―訳者解説に代えて」(ピーター・シリングスバーグ 著,明星聖子他 訳『グーテンベルクからグーグルへ―文学テキストのデジタル化と編集文献学』慶応義塾大学出版会 2009,所収。
参照URL=http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766416718/