第2回日本出版学会賞 (1980年度)

第2回日本出版学会賞 (1980年度)                                

 

 第2回日本出版学会賞の審査は,日本出版学会賞要綱および同審査細則にもとづき,1979年10月1日から1980年9月30日までの1年間に発表された出版研究の領域における著作を対象にして行われた.
 本審査のため,審査委員会は1980年10月9日から81年3月16日までの間に,計6回開催された.先ず委員会が収集した対象期間内出版関係著作目録および会員からの推薦(アンケートによる)を基盤に,包括的な検討を行い,ひろく候補対象たりうる著作の発見につとめ,ついで第一次選考,第2次選考と検討を進め,対象をしぼるという手順で慎重な審査を行った.
 しかしその結果,今回もまた残念ながら,授賞に値する著作を見出し得ないとの結論に達した.ただし審査の過程で有力な候補として取上げられたもののうち,山田昭広著『本とシェイクスピア時代』(東京大学出版会 発行)および清水一嘉著『作家への道――イギリスの小説出版』(日本エディタースクール出版部発行)の2点については,学会賞要綱にしたがって,佳作として表彰するに値するものと認定された.

 


 

【佳作】

 山田昭広
 『本とシェイクスピア時代』(東京大学出版会)

 [審査結果]
 山田昭広『本とシェイクスピア時代』は,シェイクスピア本文の客観的解明のためにはエリザベス朝印刷職人の仕事上の諸特性を解明しなければならない,という実証を主とした歴史学派的英文学研究(書誌学)の立場から,当時の印刷・出版業をとりまく種々の環境――書体,原稿,用紙,製本,ギルド,検閲等を克明に解析したもので,本来の出版学プロパーではないけれども,出版史研究に奥行きを加えたものと評価できる.

 [受賞の言葉]

 受賞のことば  山田昭広

 拙著『本とシェイクスピア時代』(東京大学出版会,1979年刊)が日本出版学会賞佳作として表彰された.著者としてはこの上もなく光栄なことであった.拙著の内容の一部をふりかえり,今後の抱負を綴ってみたいと思う.
 シェイクスピアが育ち活躍した16世紀後半のロンドン出版界は,いわば,時代の縮図のようなものであった.活字印刷の発明そのものは確かに途方もない技術革新であったが,それが16世紀のロンドンに与えた衝撃は単なる文字文化の範囲にとどまらなかった.大陸から渡来した印刷術が外国人親方のリードによってある程度発達すると,外国職人追放令を発した政府の保護政策によって,イギリス人親方の数が急速に増大し,1557年にはギルド(職業組合)を設立するほどに成長した.新参のギルドとはいえ,文字文化に直接かかわるという点で,恐らくはもっとも知的な職人たちの集まりであったといえよう.印刷業者のこの集団は高まろうとするイギリス=ルネサンスの機運を助長する絶好の力になると同時に,宗教改革推進の一翼を担い,英訳聖書や英国教会の説教をはじめとする宗教書の流布に貢献した.ギルド設立から20年ほどの間に2700余点,その後の20年間には実に4300余点が出版されたが,その4割は宗教ものであり,2割5分が文学ものであった.この数字から一般読者の急激な増大を推察することは容易であろう.一口でいえば,出版事業はルネサンス期のイギリス文化の振興のために大いに役立ったのである.
 政治と宗教が複雑に絡み合ったエリザベス時代の中央集権体制のなかで,言論統制が出版の世界に及ばなかった筈はない.当局による出版許可という実質的な検閲制度が存在しただけではない.政令を発して,すべての印刷者から在庫活字の見本刷りを取り立て,違反者の摘発に備えたり,刷り上った書物を発行まえに提出させたりすることもあった.やがてはギルドの責任者が中央統制の肩代りをするようにもなった.
 ギルドは同業者の集団としての権利を確保するためのものであるだけではなく,構成員個々の権利を保護するものでもあったから,ある書物の出版をめぐる同業者間の紛争の調停は組合役員の仕事の一部であった.調停の事例などから推察すると,「版権」は印刷者や出版者に帰属していたようである.一方,著者はギルドの枠組の外にあるものとして,自著に対する権利を,間接的にはともかく,直接には主張しないのが仕来りであったように思われる.そのためであろうか,著者は,「誤植のすべては印刷者の責任だ.」と正誤表に明言して憚からなかった.法律がらみの版権意識が一応はっきりした形をとるのは,18世紀初頭,1710年のことであった.
 16世紀イギリスの印刷文化のありようを一つの社会現象としてとらえたとき,きわめて類似のパターンを17世紀日本における印刷文化の受容と変容のなかに見出すことができるのではないかと思われる.勅令による保護政策の結果としての出版の企業化,書物の商品化,作家集団の誕生,文字文化の大衆化,読者層の形成――いずれも両者の印刷文化の共通項として成立するかに思われる.詳しく調べたわけではないので間違っているかも知れないが,そんな感じがする.
 このような比較文化論的関心が私にないわけではない.しかし,専門でない領域について発言する勇気は,いまのところ,あまり持ち合わせていない.当面は,エリザベス時代の印刷文化をさらに詳しく知るために,特定の印刷者に焦点をしぼり仕事を進めてみたいと思っている.25年にわたり三百数十点の書物を世に送ったトマス=クリードの研究である.

 


【佳作】

 清水一嘉
 『作家への道――イギリスの小説出版』(日本エディタースクール出版部)

 [審査結果]
 清水一嘉『作家への道』は,18世紀から現代にいたる出版文化の状況を,著者と読者,編集者とリーダーを中心に紹介した論説集で,全体的体系やバランスに欠ける点はあるが,これまでの類似の論説を超える深さをもつものと評価できる.

 [受賞の言葉]

 受賞の言葉  清水一嘉

 いまイギリスで話題の文学賞といえば毎年11月に授賞式のあるブッカー賞が第一に挙げられるだろう.1975年の受賞作はルース=プラウアー=ジャブヴァラの『暑熱と塵』であったが,授賞式で作者ジャブヴァラはつぎのような受賞のことばをのべた.
 ――文学賞は,作家が直面しなければならない何年にもわたる孤独としばしば絶望にたいする最高の補償なのです.それは作家にある種の精神の昂揚をもたらしてくれます.作家生活をとてもやりやすくしてくれるものでもあります.――
 インド系のこの女流作家は,それまで1,2の作品を発表してあまり話題にならず,この受賞作によってようやく脚光をあびることになったのだが,右のことばは彼女の気持ちを率直にのべたものであろう.いつわりのない気持ちがしみじみと伝わってくる.
 さて,ブッカー賞と今回の出版学会賞を同列において考えることはもちろんできないことだが,すくなくとも右の作者のことばはそっくりそのまま私自身のことばであるといってもさしつかえない.作家の生活も学者(私もそのなかのひとりだということになっている)も本質的には同じものなのである.
 学者の生活もまた深い孤独を強いられる.強いられるといういい方が悪ければ,孤独が必然的にともなうものといいかえてもよい.要するに孤独なのである.学生と接する時間が日に何時間かあっても,一たび自分の部屋にはいればひとりっきりである.2,3日家族のものをのぞいてはひと言も口をきかない時もある.もともと黙契のなり立つ家族間の会話がそんなに饒舌であろうはずがない.と,こんな風に書くと,なにやら孤独の身をかこっているようにきこえるが,けっしてそうではない.学者(あるいは学者を志すような者)はそれにともなう孤独な生活を覚悟しなければならないし,それを甘んじて受ける者でなくてはいけない.作家あるいは作家志望者にしてもこれは同じであろう.
 こうした孤独な生活のなかに,しばしば「絶望」が影のごとくにしのびよってくる.なにが絶望かはひとによってちがうだろうが,それぞれに考えあぐね,思い悩み,容易には乗り越えることのできないような壁に出くわすことがあるのである.それをただちに「絶望」というには大げさすぎるとしても,この種の悩みは他人の介在をゆるさない.学問的,専門的であれば悩みもそれだけ学問的,専門的になっていく.自分の力で解決するしか方法がないのである.
 こうした生活を何年か送り(結局は一生をそれで送るわけだが),論文を書き発表する.発表する論文が自分の意図のままに充分に書けたという満足感はいつの時にもない.幸運にめぐまれ本を出版することができても,たえず不安な気持ちはつきまとう.
 そうした時,書評にとりあげられ(とりあげられないこともある),好評であれば,本を出したことは無駄ではなかったという安堵感でほっと一息つく.――その上賞までもらうということになれば,「ある種の精神の昂揚」はさけがたいものであるし,その昂揚は自分の仕事がともかくも評価されたという自信につながっていくものであろう.そういった意味で,受賞が私のこれからの生活をやりやすくしてくれることはまちがいないと思う.一方では,期待を裏切ってはならないという不安感がまたまた頭をもたげてこようとしていることはたしかだが――.

 


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