第35回日本出版学会賞 (2013年度)

第35回  日本出版学会賞審査報告

 第35回日本出版学会賞の審査は,出版研究の領域における著書および論文を対象に,審査規則に基づいて行われた。今回は2013年1月1日から12月31日にかけて刊行,発表されたものを対象に審査を行った。審査委員会は2月23日,3月23日と2回にわたって開催された。審査は,学会員からの自薦他薦の候補作と古山悟由会員が作成した出版関係の著書および論文のリストに基づき検討を行い,最終的に審査対象となったのは3点である。これらの候補作を対象に選考を行った。その結果,日本出版学会賞2点,奨励賞1点が決定した。


 

【日本出版学会賞】

 大久保純一 著
 『浮世絵出版論――大量生産・消費される〈美術〉』
 (吉川弘文館)

[審査結果]
 本書は,近世の江戸地本である錦絵,絵草紙を,美術史的な観点からではなく出版産業・消費の側面から明らかにした画期的な研究書である。本書の最大の特徴は,(1)個々の史料に沿いながらも,全体の様相が俯瞰的にとらえられていること,(2)名所絵,忠臣蔵物,画帖など,作品・出版物のタイプごとの位置づけや違い,事情をビジネスモデルのような形で提示していることであり,近年の文学研究にみられるようなメディア論的アプローチを,積極的に採用している点にある。
 第一章「錦絵の制作と販売」は,この出版のスタイル全般にわたる概説であるが,近世専門外の研究者にとってもきわめてわかりやすく敷衍,整理されている。地本問屋,絵草紙屋という出版がどのようなものであるのかを知るテキストとしては,最適と思われる。
 第二章以下はケーススタディである。たとえば第二章「名所絵の流通」では,「東海道五十三次」「富嶽三十六景」などの名所絵をとりあげる。いずれも後世に知られる「名作」でありながら,類似のシリーズの少ないことに着目し,版木の保存状態,陳列方法,版元の特徴と流通方法(本替えなど)などから,幕末の時事ものや美人画などと比較,一時的な売れ行きは見込めないが生命の長い「ロングセラー商品」として位置づけなおしている。
 こうした,全編を流れるダイナミックで好奇心に満ちた視点は,錦絵,絵草紙を好事家的な興味から開放し,近代にもつながるこれらの日本の出版の姿を「活写」したと呼ぶにふさわしい。とくに重要な論考である第一章は『講座日本美術史 第四巻』(東京大学出版会,2005)に既出であるが,今回大幅に改稿されていること,他の論考も含めて,改めて一冊の研究書にまとめられた意義は大きく,日本出版学会賞として相応しい著作であると判断した。

[受賞の言葉]
大久保純一

 このたびは日本の出版研究の分野でたいへん権威のある日本出版学会賞を授与くださり,まことにありがとうございます。受賞内定の知らせを版元である吉川弘文館さんからいただいたときには,まったく想像もしていなかったため,たいへん驚きました。この仕事にある程度の手応えは感じていたとは申せ,自分の所属する学問コミュニティーとは異なる学会から賞をいただいたことは大変意外でした。ただ,それだけにいただいた評価を名誉に感じました。
 本書は,錦絵に代表される浮世絵版画がどのように作られ,そして売られていたかという出版のありかたと流通の実態に目を向けたものです。国内に限らず,国外においてさえも,浮世絵に関する講演をおこなった後の質問で,「錦絵1枚は蕎麦1杯の値段」という説の真偽を尋ねられることが多いのですが,不思議なことに美術史に足場を置く浮世絵研究者の間では,出版のしくみや流通の側面に目を向けた研究は従来けっして盛んであるとはいえませんでした。しかしながら,一般に「江戸庶民の芸術」といった理解がなされている以上,そうした面にも切り込んだ上で,どのあたりの社会階層にまで普及していたのかを見極めることが必要なはずです。また,流通面での制約や特性が,絵そのものの作風や主題を規定することも十分考えられるはずです。
 そうした問題意識のもと,江戸末期の文献と現存する浮世絵作例とを照らし合わせながら,ときに思い切った推論もまじえ,これまでの通説に異を唱えたところも少なくありません。それだけに正直不安な気持ちもありましたが,出版学会から高いご評価をいただいたことで,胸をなで下ろしております。
 浮世絵の出版や流通に関する研究は本書でひとつの区切りをつけるつもりですが,これからも多角的な視点で浮世絵研究に取り組んでいきたいと考えております。

 


 

【日本出版学会賞】

 豊島正之 編
 『キリシタンと出版』
 (八木書店)

[審査結果]
 16世紀の後半から17世紀にかけて,イエズス会の主導のもとに出版された「キリシタン版」は,重要かつ多様な議論を要する出版物である。しかしながら本書の編者が記すように,その関心は,長らく日本語や来日外国人の研究に「つまみ食い」されるにとどまり,出版研究もその例外ではなかった。本書は,こうした研究の進展に地道な努力を重ねてきた研究者たちの,現時点での集大成であり,同時にスタートアップに位置づけられる論集である。
 本論は九本の論文とコラムから成っており,「キリシタン版」の歴史的背景から信仰との関係,テキストとしての用いられ方に至るまで,網羅的に構成されているが,ことに豊島正之氏による第二章「キリシタン版の印刷技術」は圧倒的である。国書,同時代作の出版が行われていなかった時代に,はじめて日本に現れたオリジナルの書物としてキリシタン版を位置づけ,紙,印刷,折,装丁などモノとしての書物の姿をとおして,その製作過程,技術のありようを,積年の原本調査に裏打ちされた知識に基づいて明らかにしている。
 以上に加えて,巻末に掲載されている用語便覧,底本,写本,複製,未発見資料の一覧も,「キリシタン版」にふれるすべての研究者たちにとって,大きな道しるべになろう。世界中に類書のまったくない内外研究者必携の書であり,出版研究に対する功績はきわめて大きい。

[受賞の言葉]
豊島正之

 歴史ある日本出版学会賞の第35回受賞の栄に浴し,喜びに堪えない。受賞した小編『キリシタンと出版』(八木書店,2013年10月)は,17人の著者による共著である。16世紀末から17世紀初めに掛けて刊行された「キリシタン版」は,日本初の金属活字印刷物であるが,それは,イエズス会が,日本での布教に当たって,出版という形態を選択しなければ生まれなかった。小編は,「キリシタン版」及び関連写本などを含むキリシタン文献全体を,このイエズス会の選択に立ち戻って捉え直したいとの構想から出発し,日欧交渉史・思想史・技術史・印刷史・言語史・言語学史・書誌学などのあらゆる面からの再検討を目指した結果が,この数の専門家に,それぞれの分野からの御貢献を願う事であった。幸いに,共著者の皆様には趣旨を十分に御理解頂き,当該分野の最新の知見を盛り込んだ論をお寄せ頂いた他,「教区」と「管区」の様な分かりにくい用語に関するコラムも追加の執筆をお願いして,総計18篇の論考を収め得た。巻首に,これらの論考への道案内としての「序説」を置き,巻末には総合索引を添えた他,用語集・文献表・年表を加えて,事典としても使える書を目指した。イエズス会の印刷・出版の選択の経緯,キリシタン文献の制作者たちの背景,その思想的基盤,印刷に用いた技術と日本語独特の問題への対処,キリシタン版の言語規範と写本の言語規範との差異,などは,いずれも本格的な解明は本書が初めとなるものであって,当初の企図は概ね達したかと考えている。
 今や,主要なキリシタン版の殆どは複製・翻刻又は翻訳が行なわれ,本文のデータベース化とその公開も進んで,本文へのアクセスは往事に比して各段に容易になったが,「本文」だけでは文献を読んだ事にはならない。キリシタン文献を読むには,その文献の成立事情や背景の思想,さらには当該書の形状・用紙の当時の書籍文化の中での意味,その印刷・書写に使用された技術などを含んで,書物としての総体を考慮した「本文」理解が要請されるのであり,その実例は本書の随処に見出されるであろう。今回の受賞は,こうした本書の企図・主張に対する学問的な評価をも頂戴した事になり,編者として深甚の謝意を表するものである。又,美しい印刷と造本で本書を世に送って下さった版元八木書店にも,お礼を申し上げる。

 


 

【奨励賞】

 金子貴昭 著
 『近世出版の板木研究』
 (法藏館)

[審査結果]
 本書は,学位請求論文をベースに加筆・修正して一書にまとめられたものであるが,板木という,研究対象としてきわめてむつかしいものをテーマとしている。構成は,序章,終章を含め全10章から成るが,板木・板本・出版記録を丹念に突き合わせる作業を重ねることにより,近世出版の実態究明を意図している。板木研究については,本書に頻出する奈良大学・永井一彰氏という先行研究者がおり,著者もその成果を参照しているが,本書の特長は,資料としてきわめて扱いにくい板木をデジタル画像としてデータベース化することにより,板本を見るだけでは不明な点が解明できることを具体的な事例をもとに論じている点にある。第6章や第8章の知見は,その事例報告といえる。
 その他,興味深い知見の一,二を示すと,「第2章 板本の板木」では,「見当」「端食(はしばみ)」などに言及しているが,とりわけ興味をひくのは「第3節 入木(いれき)」の記述である。入木は通常,「訂正が必要になった場合,版木の一部を削りとって,新たにその部分に小片を埋め込み,補刻をすること」と理解されている。しかしながら,木材という特性から板木を見ると,入木が上述の理解とは異なり,訂正のために新たな小片を埋め込むのではない事例が見られるという。それは何かというと,「木の節」の存在である。著者は元禄九年刊の『呂氏家塾読詩記』巻之二十二の板本と板木の写真版を示し,そこに「堅くて加工が難しい」「節」があるために,訂正のための入木ではない,節の存在のため直接彫ることをきらったか,彫れなかったために入木がなされた例であろうと指摘している。もうひとつ挙げてみよう。まだ仮説の域をでず,今後の調査・研究が待たれる問題であるが,「終章 課題と展望」で整版印刷の勃興について通説以外に新たなファクターを考慮すべきことを述べている。近世になって商業出版が始まり,整版印刷が再び台頭するのが寛永(1624-1643)の末頃とする従来の説に対し,それだけでなく「木材をめぐる何かが寛永以前に京の地に起こったと見るべき」ことを指摘する。大堰川の完成や高瀬川の掘削などにより,京都への木材流通に大きな変化があり,やがて板木受容の拡大へとつながるのではないか,とする。今後の精査を待ちたい新見である。
 なお,今後の希望をひとこと。著者自身も触れていることであるが,本書に取り上げた奈良大学以外で板木を所蔵している機関は少なくない。それら機関に蔵されている板木についても,遠からず調査の手を伸ばしていただきたい。
 板木研究は,近年動き始めたばかりといっても過言ではないが,その新領域における研究成果は今後さらに進展することが予想される。そうした研究展開への期待も込めて,本書は奨励賞に値するものといえよう。

[受賞の言葉]
金子貴昭

 このたびは歴史ある日本出版学会賞奨励賞を賜り,誠にありがとうございました。対象となった拙著『近世出版の板木研究』は,2010年に立命館大学へ提出した博士学位論文に加筆修正を加えて公刊したものです。博士論文の執筆にあたってご指導下さった先生方,編集・刊行・販売にご尽力下さった株式会社法藏館の皆さま,ご推薦下さった方々,審査に当たられた先生方に厚くお礼申し上げます。
 拙著は書名のとおり,江戸時代以降の出版産業において,印刷の道具として用いられた板木をテーマとしたものです。調査を進めるうち,板木が版権を体現する存在であること,板本はもちろん,諸記録とも連動し,書誌学的にも出版研究の上でも,板本を見ただけでは分かり得ない事象を教えてくれる貴重な資料であることを理解するにつれ,板木を見ることにより,江戸時代の出版の実態解明に近づけるのではないかと考え,板木を博士論文のテーマに選びました。
 公刊にあたり,資料共有体制を構築しつつ,板木を軸に板本・出版記録の各資料について考察し,それらを活用した出版研究実践に及ぶという,一本の筋を通したつもりですが,刊行後,拙著の内容を見直すにつれて,多くのケアレスミスを見出し,反省することしきりです。それらの点については,有り難くもいただいた重版の機会に修正させていただきたいと思います。
 ご講評において,少なからぬ機関が板木を所蔵することに言及していただきました。今後それらの諸機関の調査を踏まえた上で,板木研究のさらなる進展を図っていかなければなりません。拙著には成果を含めることができませんでしたが,博士論文の提出後,すでに法藏館・美術書出版株式会社芸艸堂・佛光寺などが所蔵される板木の調査に着手しております。しかしまだスタート地点付近で右往左往している状態であり,今回の受賞を糧に,調査・研究を進捗させていく所存です。
 さいごに,板木に逸早く着目され,この道を切り開いて来られた永井一彰教授(奈良大学)に,格別のお礼を申し上げます。板木に関わる数々のご研究はもちろんのこと,板木そのものを,関連資料をも含めて集積された先生の研究活動がなければ,私の研究など端緒にすらついていないことでしょう。先生のご著書よりも先に拙著が世に出たこと,タイミングの問題とはいえ心苦しく思っておりましたが,待ちに待った大著『板木は語る』(2014年2月,笠間書院)が刊行されました。並列に扱うのはおこがましいのですが,今後,両書によって板木を用いた研究の裾野が広がっていくことを願ってやみません。