第45回 日本出版学会賞審査報告
第45回日本出版学会賞の審査は、「出版の学術調査・研究の領域」における著書を対象に、「日本出版学会賞要綱」および「日本出版学会賞審査細則」に基づいて行われた。今回は2023年1月1日から同年12月31日までに刊行・発表された著作を対象に審査を行い、審査委員会は2024年2月14日、3月22日の2回開催された。審査は、出版学会会員からの自薦他薦の候補作と古山悟由会員が作成した出版関係の著作リストに基づいて行われ、その結果、日本出版学会賞1点、日本出版学会賞奨励賞2点を決定した。
【日本出版学会賞】
阿部卓也著
『杉浦康平と写植の時代――光学技術と日本語のデザイン』
(慶應義塾大学出版会)
[審査報告]
本書は、グラフィックデザイナーであり、研究者でもある杉浦康平の仕事を軸に、技術、産業、デザインを幅広く論じている。杉浦と同様に、デザイナーであると同時に研究者であるという作者・阿部の専門知と経験とが存分に発揮された力作であり、出版研究にとっても重要な位置を占めるものである。
資料とインタビュー両面からの精緻な調査、それを受けての考察内容ともに充実しており、現代ブックデザイン史の研究書としても印刷技術史の研究書としても極めて高い完成度となっている。審査委員としては、特に、杉浦による間隔を詰めに詰めたタイポグラフィと印刷された内容の関係の解読、手書き文字・印刷された文字・さらに日本語表現にまで発展する論考部分を、まさに本書の白眉であると考えている。このほかにも調査に裏打ちされた優れた考察を多く含むとともに、レファレンスも極めて充実したものであり、以降の研究において必読の基本書となる完成度と評価できる。
すでに多くの賞を受賞してはいるものの、日本出版学会としても学会賞を与えるべき一冊である。
[受賞のことば]
阿部卓也
このたびは、日本出版学会賞という栄えある賞を賜り、誠にありがとうございます。拙著『杉浦康平と写植の時代』は、書物の歴史を、通常の出版文化史とはやや異なる、デザインと写真植字(写植)技術という視点から読み解いた本です。そのような書籍に対し、日本出版学会が評価してくださったことは、本当に大きな光栄だと感じています。
この本は、作者ひとりの力によるものではなく、多くの人々との共同作業によって完成しました。例えばオーラルヒストリー調査の過程では、取材対象の方々が企画意図にご賛同くださり、「あなた本のためには、この方にも必ず話を聞くべきです」と、次のインタビュイーをご紹介いただく展開が何度もありました。組版専業者から印刷技術者やデザイナーへ、デザイナーから企業の広報担当者へ、広報担当者から書体設計者へ……そのような形で広がる人々の輪に押し上げられ、引き上げられる形で、本書は完成しました。それは「書物のかたちに対して、責任を取ろうとする意思を持った人々の輪」だったのだと、今は実感しています。
さらに拙著が世に出て以降も、じつに様々な方が、本書に言及してくださいました。それらの批評の中には、単に本の内容を論じているだけではなく、私の本を媒介にして、かつての写植の時代と現在の出版文化に対する評者自身の思想を紡いでいる、と感じられるものが多くありました。おそらく人々の心に「出版文化に対する、声にならざる思い」が充満しているタイミングだったのではないかと思います。それは例えて言うなら、水の中に物質を限界まで溶かした、飽和水溶液のようなものです。ミョウバンなどの飽和水溶液に小さなタネ結晶の粒を投じると、その周囲に連鎖的に結晶化が起こり、最終的にダイヤのような大きな結晶が育つことがあります。私の本は幸いにも、人々が書物への記憶を言葉にして結晶化させていくための、ささやかな砂粒の一つとして機能したのではないでしょうか。
もしそうであるなら、この日本出版学会賞もまた、本質的には私の本や私個人ではなく、写植と本に対して思いを抱く全て人々の総体に対して、授与されたものだと言えます。人間は、一人だけの力で何かを成し遂げることはできません。必ずたくさんの人々に支えられ、助けられています。それは、この世界のあらゆる書物が単独では存在せず、意味内容においても物流においても、他のすべての書物とのネットワークの中で成立可能になっていることと、同じです。そのことを決して忘れないようにしながら、次の研究成果に向けて、より一層の精進をして参ります。
【奨励賞】
ピーテル・ヴァン・ロメル 著
『「田舎教師」の時代――明治後期における日本文学・教育・メディア』
(勁草書房)
[審査報告]
本書は、教育雑誌に着目することで、「田舎教師」、つまり小学校教員を中心とする「想像の共同体」が明治後期に形成され、近代教育理念の形成と多様性を生成・拡大した過程を考察した学術的研究書として高く評価できる。日本各地で教育雑誌の主たる読者であり、また投稿者、創作者であった彼、彼女らが、教育雑誌が出版文化形成に寄与した役割が明らかにされるが、こうした教育者集団に向けて盛んになった、教育ジャーナリズムの様子が興味深い。それによって、日本近代の教育と文学という二つの研究領域を架橋することにも成功している。
「出版メディアは近代教育にまつわる活発な議論を可能にした」(27頁)と指摘されているように、教育出版は近代日本における教員の主体性を養い、立身出世文化の形成に不可欠な要素であった。教育小説という文藝ジャンルの生成や、田山花袋の学習雑誌との関わりといった考察は教育出版ジャーナリズムに着目したがゆえの指摘であり、独自性がある。明治期の新たな出版文化の形成に光を当てた著作として、日本出版学会賞奨励賞に値すると判断した。
[受賞のことば]
ピーテル・ヴァン・ロメル
このたびは、日本出版学会賞奨励賞という素晴らしい賞を賜り誠に光栄に存じます。拙著は博士論文を元とする長年の苦心の結果でありこのような評価をいただくことを大変喜ばしく思っております。ご選考くださった審査委員の先生方、日本出版学会のみなさまに心より感謝申し上げます。またこの場を借りて、筑波大学の先生方をはじめ、研究の始まりから出版まで様々な形で指導や支援をしてくださった数多くの方々に厚く御礼申し上げます。
実のところ、研究の出発点は出版研究ではなく、日本近代文学と近代教育との密接な関係を検討することでした。明治時代における地方の小学校教員を特定の読者層として捉え、彼ら彼女らの読書傾向や創作活動を調査することで、日本文学が果たしてきた社会的役割を根本的に考え直す試みでした。しかし、教員に読まれた文学作品や教員に向けて出版された教育小説について調べる中で、雑誌媒体、とりわけ教育雑誌の重要性が明らかになってきました。明治後期の代表的な教育雑誌は教職に関する公的な情報を提供することにとどまらず、社説や投稿欄、文芸欄なども設けることによって、比較的多様な考え方との接触、教員間のコミュニケーション、そして場合によっては批判的な問いかけをも可能にする場として機能していました。こうした発見を重ねるうちに、教育ジャーナリズムの実態を究明することが研究の重要な一部となっていったのです。
拙著は文学の観点に立ちつつ、近代日本の教育史、メディア史、社会史全体に新しい光を当てるための学際的な研究として構想されています。広い意味での社会学・人文学の実践者であると自認する私は、細かく分岐し孤立した諸々の研究分野を自由に横断する形態の研究を理想とみなしていますが、受賞の際に、メディア研究こそまさに必然的に学際的な学問領域であるということを改めて強く認識しました。過去の受賞作品を拝見すれば、実に時代・地域・テーマの多様性が顕著です。それゆえに一層、日本出版学会賞奨励賞を授与されたことを喜ばしく思っております。今後は、ぜひとも日本出版学会の方々との協力関係を深めながら、日本国内外の教育ジャーナリズム史をめぐる研究を精力的に進展させたいと決意を固くした次第です。
末筆ではございますが、重ねてみなさまに感謝申し上げます。
【奨励賞】
彭 永成 著
『『ゼクシィ』のメディア史――花嫁たちのプラットフォーム』
(創元社)
[審査報告]
結婚情報誌『ゼクシィ』の特異性を「ゼクシィ神話」と名づけ、「ゼクシィ神話」成立の要因をメディア形式の視点と内容分析という2つのアプローチから探った研究である。このアプローチを通じて、本書は文化を社会学的に分析することにおいて、雑誌研究が優れた手法であることを再確認させてくれる。加えて「『中国ゼクシィ』のメディア史研究」の章では、異文化間コミュニケーション研究の領域にも及び、さらに「ブライダル広告メディアの比較研究」の章においては、紙媒体とウェブサイトとの関係を考察するなど、雑誌研究の可能性を改めて認識させることに成功している。
ただ、リクルート発行の雑誌の広告主導で構成する特殊性は、雑誌メディア研究としてかなり重要と思われるが、広告営業と編集部との関係や、編集タイアップ広告などに関する説明が十分でない点は惜しい。今後の研究で考察を深められることを期待したい。
しかし本書は、雑誌研究の手本ともいうべき手法であり、今後に繋がるという意味で高く評価できるものである。奨励賞には十分値する書籍であると考える。
[受賞のことば]
彭 永成
このたびは栄えある賞を賜り、誠にありがとうございます。選考にあたり、拙作を高く評価してくださった先生方に心より感謝申し上げます。
博士論文を元にした本書が出版される運びとなったのは創元社のおかげであり、外国人である私が抱える言語や文化の不慣れを、いつでも優しく導いてくださった編集者の小野紗也香さんには感謝の意を表してもしきれません。また、出版に際しては京都大学人と社会の未来研究院若手出版助成からのサポートもあり、この場を借りて深く感謝申し上げます。
本書は、結婚情報誌『ゼクシィ』が情報化社会における紙媒体としての雑誌の可能性をメディア史的研究の視点から解明しました。『ゼクシィ』は雑誌の危機が叫ばれる中、晩婚化・未婚化問題に直面しながらも、「ゼクシィ=結婚」という記号を確立し、「結婚式のバイブル」としての地位を築きました。その成功には、『ゼクシィ』が紙媒体の強みを生かしつつ、ネットメディアの特性も取り入れたプラットフォーム型雑誌としての理想像を提示したことが大きな要因です。また、メディア形式の変化に伴い、『ゼクシィ』は読者の理想や欲望を誌面で反映させ、結婚式における主役とディレクターとして花嫁を位置づける新しい役割を提供しました。
本書は『ゼクシィ』のメディア史を他の同類誌や地方版、海外版、ウェブサイトなどと比較し、多角的に分析することで、これまで見落とされていた結婚情報誌の全体像とその社会的意義を明らかにしました。デジタル社会における存続例としての『ゼクシィ』の取り上げは、雑誌メディアの潜在的可能性や、社会文化や歴史における雑誌研究の重要性を示す一助となれば幸いです。
また、審査報告にもあったように、本書は『ゼクシィ』の内容に重点を置いており、営業部や編集部との関係、編集タイアップ広告など、リクルート社が発行する情報誌としての重要な側面についての議論はまだ不十分です。今後は、日本社会における情報誌としてのメディアの特性や位置づけを明確にするため、よりいっそう研究に精進して参りたいと思います。
最後に、『ゼクシィ』研究を通じて出会った関係者の皆様、院生時代から本の出版までご指導いただいた佐藤卓己先生と佐藤ゼミの皆様に心から感謝の気持ちを申し上げて、文を締めたいと思います。
この度は本当にありがとうございました。