《日本出版学会創立50周年記念講演》 「日本出版学会と出版ニュース社――ともに歩んだ50年を顧みて」 清田義昭 (2019年5月11日開催)

《日本出版学会創立50周年記念講演》

日本出版学会と出版ニュース社――ともに歩んだ50年を顧みて

清田義昭 (出版ニュース社代表)

 今年度の春季研究発表会では1969年に設立された日本出版学会創立50周年記念講演が催された。75年以上にわたり日本の出版界の浮沈を伝え続け,2019年3月に惜しまれつつも幕を閉じた出版業界誌『出版ニュース』を発行してきた出版ニュース社。この出版ニュース社と日本出版学会の強固な関係を築きあげる中で,半世紀以上にわたり出版学とは何かを内外から問い続けた出版ニュース社の代表,清田義昭氏が語った内容を紹介する。

 本日のテーマに入る前に,個人的なことからお話ししたいと思います。哲学に関心を持っていたことから,比較哲学を学ぶために立正大学に入りました。そこには印度哲学の金倉圓照先生,法華学の坂本幸男先生,キリスト教の熊野義孝先生らがいらっしゃったのが動機でした。私は研究者を目指していました。そうした中で現代哲学の清水多吉先生との出会いがありました。当時,60年代後半は全国的に反大学,管理社会批判をもとに学生運動が起こっていました。反大学は,いわゆるアカデミズムへの反発であり,学問の見直しでした。学問研究業績は出版という形で提示されると私は考えるようになり,出版ジャーナリズムへ関心が移っていきました。出版社のイメージ論,「出版社ののれんの研究」と名付けていました。アカデミズムと出版ジャーナリズムの関係が課題になったのです。それを実現するために出版ニュース社に1967年に入社しました。
 政治・イデオロギーの時代でしたから,『出版ニュース』では言論報道の自由,学生運動に関する特集を組んでいました。1969年に日本出版学会が発足したときには「出版と読書の未来」(中島健蔵,藤竹暁,杉村武),「出版学の生成と展望」(美作太郎),「出版学の目指すもの」(布川角左衛門,清水英夫),70年には「読者と書物のあいだ」(外山滋比古),「映像は活字を再触発する」(志賀信夫),「新出版文化論」(竹内均)など,出版学関連の特集を組んでいました。
 出版界が急伸し,多様な動きの中から,出版学,出版研究を確立しようということは当然のことだったと思います。『出版ニュース』のバックナンバーをみると当時の状況がよくわかります。
 1971年には「出版界は生産過剰か」(鈴木敏夫),「総合雑誌論」(大熊信行),「マスコミと自立――ジャーナリストの姿勢を問う」(稲葉三千男)などジャーナリズムの動向を特集していました。そうした中で5月中旬号の「出版時評」に出版学会の姿勢を問うような内容を掲載したために,下旬号で急告と謹告を掲載することになります。これをめぐっては『出版ニュース社の五十年』に具体的に記録してありますが,当時,雑誌『みすず』に連載されていました出版太郎氏が批評していますので,ここでは省略いたします。
 私は先に述べたように,出版学会発足時から,学会に関する特集を続けていましたので,この出版時評問題を契機に出版とは何か,出版学会はどうあるべきかを考えることになります。当時「出版学会の先輩の真摯な姿勢と出版学会の動向をみたとき,積極的にかかわることで自分の仕事にプラスになると認識があった」と記録しています。1972年のことです。
 その後の誌面をみると,布川角左衛門氏,清水英夫氏,金平聖之助氏,宮田昇氏などの執筆の機会が多くなっていくことがわかります。
 また,1975年には『総合ジャーナリズム研究』に掲載された「学になりきれない出版学」(箕輪成男)が出版学とは何かの議論をよぶことになります。この問題提起は,その後何度も取り上げていますが,1992年に日本エディタースクール出版部から刊行された箕輪氏の『出版学序説』に集約されていると思います。
 私なりに,この問題提起についていうならば,科学的研究と実学的研究は別ということだと思います。出版の科学的研究は追究されるべきものであることは確かですが,一方で出版は実学的要素もあり,両論あってしかるべきだと考えています。これは出版学会50年の歴史の中で,現在でも課題として議論されるものであるといって過言ではないでしょう。