「戦後出版界の一コマ――水上勉の虹書房・文潮社時代」 掛野剛史 (2018年5月 春季研究発表会)

戦後出版界の一コマ――水上勉の虹書房・文潮社時代

掛野剛史
(埼玉学園大学)

*注 当日「虹書房出版図書目録」を配布した.

1.はじめに

 1961年,42歳の時に直木賞を受賞するまで,多種多様な職業を経験した水上勉(1919~2004)にとって作家生活につながった職業の一つが編集者である.年譜にも日本農林新聞社から,報知新聞社校閲部,学芸社,三笠書房,日本電気新聞社,虹書房,文潮社と戦前戦後を通じて多くの新聞社,出版社の名前が残る.本発表では編集者としての水上勉,特に戦後の虹書房時代,文潮社時代の水上勉に注目し,彼の動向と虹書房と文潮社の出版活動の実態を周辺の出版社の動向とも関連させながら検討し,混乱期にあった戦後出版界の様相の一端を明らかにした.なお水上勉が遺した資料については,水上蕗子氏のご協力を得た.深謝申し上げる.

2.編集者としての水上勉

 虹書房の設立経緯については,自伝的小説「凍てる庭」などにその経緯が書かれているが,最初の活動は雑誌『新文芸』の創刊である.創刊号がいつ世に出たかは,水上宛書簡などからは1945年内に出たことは確実であるが,第2号を1946年2月1日に出して以降,月刊のペースが乱れはじめる.ライバルが増えてきた雑誌刊行から,単行本出版へとシフトしていったようで,1946年5月10日奥付の『にごりえ』を皮切りに,広告によっていくつか相違があるが,15冊の刊行予定を含む「虹叢書」シリーズの目録が告知されている.また刊行されなかった「梶井基次郎全集」の予約申し込みも受け付けるなど,積極的な動きが見られた.だが1947年1月1日の奥付を持つ高見順『恋愛年鑑』は告知から刊行まで相当の時間を要すなど,単行本出版も紙代や印刷代の高騰から行き詰まる.
 『新文芸』は1947年8月号から同人制を敷き,再出発を図るが,12月20日奥付の6冊目を最後に廃刊になってしまう.廃刊の告知はないが,同人の水上宛書簡などからは廃刊に向けた協議状況がうかがえる.

3.混乱期の戦後出版界――田中英光書簡から

 水上勉資料のうち,宇野浩二の次に多く残る水上宛書簡が田中英光書簡になる.書簡のほとんどが原稿の売り込みに関するもので,親しい二人の関係がうかがえる.実際に虹書房および文潮社で採用した原稿は,「運」(『新文芸』1947年8月),「曙町」(『新文芸』1947年11、12月)と『暗黒天使と小悪魔』(文潮社,1948年10月)『黒い流れ』(1948年11月)だけだが,この書簡からは,これだけではない原稿が水上に渡り,水上を通して他の出版社に原稿の斡旋をしてもらっている具体的な様相や,混乱期にあった群小出版社の相互の関係性の一端が浮き彫りになる.
 まず雑誌『大道』を発行していた「青玄社」については,1946年から48年までの活動が確認できるが,青玄社と田中英光をつなぐものが水上勉とその周辺の出版社だったことがわかる.『大道』に掲載された「光格天皇」は,まず久松書店や南鴎社を経営していた久松直勝の手に渡り,これが『大道』に転送されている.
 また「女の問題」は「マルエ洋行に」という田中の言葉に違えた形で,「久松書店」が創刊した雑誌『浪漫』(1947年11月)に掲載されている.だが『新文芸』1947年8月号掲載の出版広告に,マルエ洋行出版部から刊行が予告されている「新撰小説集 第一輯」があり,その目次には,田中英光「女の問題」が記されているため,田中の言葉通りに原稿は転送されたようだ.ただこの「新撰小説集 第一輯」はマルエ洋行出版部からは刊行されなかった.というのも,この予告の執筆者,タイトルは久松書店刊行の『浪漫』1947年11月号と全く同じなのである.企画自体が移ったものか不明だが,こうした経緯を見ると青玄社-虹書房-久松書店-マルエ洋行といった出版社が極めて近い関係にあったことは間違いない.こうして1947年6月頃,まとめて水上に託されたとみられる「光格天皇」「女の問題」「運」が異なる三誌に掲載されたのである.
 この四社を結ぶものは何か.「マルエ洋行」については不明な点が多い.だが三社の関係については,その背後に水上勉の人脈が浮かび上がる.青玄社と水上をつなぐのは,当時青玄社で編集を担当しながら自らも作品を掲載していた伊藤森造である.彼との関係は戦前にさかのぼる.水上勉の回想にも名前が登場する久松書店の久松直勝についても戦前からの関係である.久松書店としては雑誌『浪曼』と梅野彪『二十世紀のマリア』,北条誠『恋愛手帖』を刊行.南鴎社としては宇野浩二『出世五人男』,ツルゲーネフ『あひびき』を刊行している.ただこの久松書店,南鴎社に関しても不明な点は多い.
 以上の報告は,遺された資料からわかるほんの一部のことにすぎないが,虹書房を含めた群小出版社の活動を微細に見ていくことで,戦後の出版状況や文壇状況の一端を明らかにする手がかりが得られるものと考えている.

※本研究は,JSPS科研費JP16K02400の成果である.