出版史研究の手法を討議するその3 中川裕美 (2014年10月29日)

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■関西部会 発表要旨(2014年10月29日)


出版史研究の手法を討議するその3
文化・社会研究としての出版研究を目指して


中川裕美
(愛知淑徳大学 教務補助)


 本発表は,「出版史研究の手法を討議する」の第三回目である。前回までの議論を踏まえた上で,筆者がこれまでに行ってきた少女雑誌研究の経験を元に,雑誌研究は文化・社会研究にどのような寄与が出来るのか,更には文化・社会研究を行う上で克服していくべき課題とは何か,という問題提起を行う。
 まず,出版研究における三つの立場を整理する。
 第一の立場は,発行部数や流通経路,社会的な弾圧や規制といった,出版活動の社会,経済的側面に着目するものである。第二の立場は,出版物が「いつ」「誰によって」「どのように」出版されたのかについて,より密に調査,研究していく立場である。そして第三の立場は,記事内容(メッセージ)を分析する立場である。
 こうした三つの立場はさらに,(1)「出版物そのもの」を論じる,(2)「出版物から」文化・社会を論じる,という二つの視点のいずれを重視するかによって,研究の方向が大きく異なるものとなる。
 発表者はこれまで,「少女」を論じる手がかりとして少女雑誌を主として分析の対象(媒体)とするテキスト研究を行ってきた。この経験を通して感じた問題点を整理したい。
 第一に,雑誌を媒体とする研究では,何故その雑誌を対象としたのかが明白でなければならない。発行部数や読者層の把握は,対象とする雑誌の同時代的な影響力を図るものとして有効である。しかし,稀に研究者や熱烈な愛読者らによって,雑誌が「価値付け」されてしまう場合があり,注意が必要である。
 第二に,読者=受け手分析へのアプローチは可能か,という問題である。多くの研究者は,読者が雑誌を「どのように」読んでいたのかを明らかにしようとする際,読者投稿欄を分析の対象とする。しかし,読者投稿欄は編集者の意向が働いているものであり,研究者が望む「フラットな読者像」の把握は極めて難しいと言える。この課題を克服するためには,読者投稿欄の分析に加え,当時を知る者の手記,日記,回顧録,手紙,小説,インタビュー調査などを行うことで,実態としての読者像により迫ることが可能となる。
 第三に,分析をする「わたし」は何者であるかという問いに対し,自覚的であるか否か,という点である。研究者は資料を客観的に分析するため,「何者でもないわたし」として分析対象に臨むべきであるが,性別や人種,社会的な立場などから完全に解放されることはあり得ない。また,「現代に生きるわたし」が「過去の資料」を「今の感覚」で読み解いていくことには,常に危険性がつきまとう。もの言わぬ資料であるからこそ,こういった点について研究者は自覚的であるべきだと考える。
 以上のような雑誌を媒体とする研究の課題を踏まえた上で,最後にこのようなテキスト研究が文化・社会研究に寄与するために,向き合わなければならない課題と,果たすべき役割についての筆者の考えを述べ,まとめとする。
 テキスト研究は,フィールド研究のように「今」「ここ」の社会問題を対象にすることが出来ないため,常に現実との「時間差」が生じ,目の前の課題に即応するような成果は得難い。一方テキスト研究では,目の前の人間や揺れ動く現実世界からは捉えられない「歴史」や,再生産され,記号化されていく「文化」,無意識のうちに甘受してしまっている「イデオロギー」などを,深く掘り下げて分析することが可能である。
 弱点を否定的に捉えるのではなく,時間・時代を超えて「文化」や「意識」を「掘り起こす」ことができるのがテキスト研究の可能性であり,我々研究者の果たすべき役割であると考える。
(文責:中川裕美)