雑誌『経済往来』『日本評論』の編集者たち 大澤 聡 (2008年5月30日)

歴史部会   発表要旨 (2008年5月30日)

雑誌『経済往来』『日本評論』の編集者たち
 ――誌面変容との連関を視軸に

大澤 聡

 本発表では,戦時期の総合雑誌『日本評論』の前身である雑誌『経済往来』に関する総合的な整理・分析を行なった。当該雑誌の特徴のひとつとして,編集方針のたえざるゆらぎが挙げられ,そのゆらぎの背景は,流動的な読者のニーズやジャーナリズムの動向に適応させた企画立案を積極的に行なったという点において説明することが可能である。と同時に,編集実務を担ったスタッフの目まぐるしい交代という事態においても説明することができる。今回の発表では,誌面構成の変容過程を時系列にそって整理することで前者の意味を考察しながら,あわせてその時どきの編集スタッフの氏名とその役割を「編輯後記」欄から可能なかぎり洗い出すという作業を行なうことで後者の追跡にもつとめた。
 1926年3月の創刊時における『経済往来』は,発行元である日本評論社の刊行物に対する推薦文及び経済時事随筆とで構成された全頁四段組36頁,定価10銭の小冊子であった。誌面には財界ゴシップなどが埋草的に配備されるなど,文壇ゴシップを中心に軽い読物雑誌として読者層の新規開拓に成功した『文芸春秋』のスタイルを経済領域に応用した目論見であったといえよう。それが35年10月に『日本評論』と改題する際には,500頁を超過し定価80銭の総合雑誌へと転態を遂げ,先行する『改造』『中央公論』に接近する。そこには10年という期間に圧縮的に遂行された《経済雑誌から総合雑誌へ》という段階的変容があった。その各段階において,「総合雑誌(とは何か)」を構成する要素群をひとつずつ具現していったのである。
 戦前期の「四大総合雑誌」として概括されるもののうち,『経済往来』『日本評論』に関する分析はほとんどなされてこなかった。しかしながら,後発誌として自覚的に「総合雑誌」の形態を模倣し,《総合雑誌》のあり方を典型的に指し示した事例としてきわめて興味深い存在であったといえる。それは《総合雑誌》という雑誌ジャンルのひとつの成熟の指標ともなりえていた。そうした変容を可能にした無名の編集者たちにささやかながらも光を当てる作業は,戦前期の出版界の人的配置を考えるための基礎作業のひとつとしても不可欠なものであると思われる。
 なお,質疑応答の時間には,戦前/戦後の日本評論社の断絶面と連続面などについて,発表者から補足的な解説をし,そのことをめぐって参加者のあいだで積極的な討論がなされた。
(大澤 聡)