整版から活版へ  鈴木広光 (2004年2月19日)

関西部会   発表要旨 (2004年2月19日)

整版から活版へ ― 揺籃期の和文タイポグラフィー

 草双紙や浄瑠璃本などが示すように,江戸の整版本は印刷書体や絵によって構成される版面そのものにジャンル意識が反映していた。その版面の構成要素は,明治に導入された近代活版印刷術の筆勢を脱色した画一的な明朝体によって失われる。ただし,現在みられるような版面構成に一挙に移行したわけではなく,活版印刷揺籃期の日本語書物は前代の様式規範を根強く残していた。本報告ではそのような版面構成要素のうちとくに字間に注目し,そのあり方とジャンル,読者層との関係についていささかの考察を試みた。
 明治期前半の印刷物では,今日見られるようなベタ組は決して一般的ではなく,二分ないし四分のスペースを空けて組まれることが多かった。官庁の布達類,法律書,学問書,文学の領域でも翻訳小説や政治小説のように内容も文体も硬めの本ではほとんどの場合,字間が空いている。このような組版は作業効率や情報量の多さといった経済性を重要な特長のひとつとする近代活版印刷術の原則に適合したものではない。字間に込物を挿入しなければならない分,ひと手間多くなるし,版面に詰め込まれる文字数も少なくなるからである。にもかかわらず,このような版式が採用されたのはなぜか。江戸の整版本や木活本で,知識層が読むような漢文や漢文訓読調の書物では,本文の字間が空いていることが多かった。明治期前半の字間空き組版はこの様式規範を継承するものであった。
 このような状況のなかで,本文ベタ組,全ての漢字に振り仮名をつけた特徴的な版式を持つ一群の本が登場する。明治十五,六年から盛んに活版印刷されるようになった合巻形式の通俗読物である。活版式合巻の版面は小新聞のそれと連続性をもっている。大新聞と小新聞は内容や文体だけでなく体裁(版面)でも様式上の対立があり,最初期大新聞の本文が五号二分空き・四部空きで振り仮名がほとんど無いのに対して,小新聞は最初から五号ベタ組,総振り仮名付きであった。明治合巻には小新聞の続物や雑誌から独立したものもあり,庶民向けの読物ということもあって,小新聞と同じ本文組版が採用されたものと考えられる。また明治十五,六年頃には木版よりも活版のほうがコストが安くなっており,版面にできるだけ多くの文字を詰め込んで,手っ取り早く出版するという活版印刷術の経済原則に則ってベタ組が採用されたのである。知識層を意識した書物と庶民向けの通俗的な読物という読者層を前提にした様式規範にとって,本質的なのは振り仮名の有無であって,字間空きかベタ組かは副次的なものである。高級本の字間空きは前代様式規範の継承だが,活版式合巻のベタ組は経済性を優先させた結果の産物だからである。けれども,馬琴読本を活版で翻刻出版した東京稗史出版社はこの表面的な様式対立を利用して,意識的に活版式合巻との差別化を図ろうとしていたふしがある。その版面の意匠は,四号相当の楷書体を採用し,字間は四分空き,句点も加えられており,少しばかりの高級感と江戸の臭いを醸し出そうとしたようである。
 なお本報告の内容の一部を「木版から活版へ -揺籃期和文組版の諸相-」『新日本古典文学大系明治編・月報』(2004年2月)と題して公表している。ご一読いただければ幸いである。
(鈴木広光)