若い女性向け雑誌の青春 石田あゆう (2014年9月16日)

■関西部会 発表要旨(2014年9月16日)

若い女性向け雑誌の青春
――『ノンノ』1971-1990年の分析を通じて

石田あゆう
(桃山学院大学)

 1971年創刊『ノンノ』は,1970年創刊の『アンアン』とともに,これまでになかった若い女性向け雑誌として,人気を博したと言われる。だが『アンアン』が70年代,その後登場した『JJ』(女子大生向け雑誌の雄)が80年代と,時代を象徴する雑誌として取り上げられる一方で,『ノンノ』は他誌よりも多くの読者を持つ人気ぶりにもかかわらず,時代を代表する雑誌とは「言われない」傾向がある。それは『ノンノ』が時代の空気や流行を反映させたファッション誌というよりも,若い女性読者への教育的機能という側面を持つからではないか。『ノンノ』の若い女性向け雑誌としての特徴を,戦前から続く婦人雑誌的「実用雑誌」の系譜でとらえ,当時の若い女性の雑誌文化の有り様を,これまでとは異なる事例として紹介した。
 1980年の女性誌市場に地殻変動が生じ,戦後日本の女性誌においてその中心を占めてきた「既婚向けを想定した婦人誌」の凋落が決定的となった。その一方で台頭したのが,未婚の若い女性「ヤング向けミス誌」である。雑誌は広告媒体として大きく伸張し,同年,女性向け雑誌全体では前年比6.9%増を示した。だがヤング向けミス誌だけなら,23.4%増となっており,この傾向について『出版指標年報』は「前年まで部数構成比ではトップを占めていたミス&ミセス誌(婦人四誌含:注)がミス誌にトップの座を譲ってしまい,婦人誌部門のヤング志向がより一層強まったことを示している。」(『出版指標年報』64-65頁)と記した。
 『ノンノ』は1979年に90万部発行し,1981年には『ノンノ』の「ヤングでの圧倒的人気」が『出版指標年報』では指摘されている。ファッション,旅,インテリア,タウン情報といった多様な内容は,幅広く読者を獲得することを可能とし,生活―服飾系雑誌において2000年まで不動の1位を誇った。その後ヤング向け女性誌はストリート,カジュアル,ギャル系へと細分化していくことになる。
 『ノンノ』は集英社初の「ファッション誌やるべし」の気運のなかで創刊された。編集方針は「すべての内容をファッションとして捉える」というものであった。編集業務は2つに分けられており,ファッション班(ハードファッション)とヒューマン班(心のファッション)に分類したという。後者の心のファションという側面は,70年代『ノンノ』において,女性の恋愛や結婚,セクシャリティについての記事となって表れる。『ノンノ』の雑誌としてのキャッチフレーズは「愛のあるファッショナブル・マガジン」であり,出版広告には「愛」「性」「あなた」「結婚」といった用語が頻出していた。
 1980年代はじめ,男性は23~32,女性は20~29歳の間で,全初婚の85%が行われたと言われるが,ファッション雑誌とはいえ,未婚向け女性の雑誌として読者の「心のファッション」という若い女性特有の悩みに向き合おうとしたことが『ノンノ』の特徴として指摘できるだろう。
 「読者と編集との目に見えないコミュニケーションをどのように確認するか,が基本であって,そこのところを間違えなければ,そう見当違いなものはできるはずはないと思います」(塩澤実信「『non-no』の現代センス 若菜正」『雑誌をつくった編集者たち』廣松書店,1982年)とかつての『ノンノ』編集長,若菜正は語っているが,彼はかつて『明星』編集部で本郷保雄集英社編集局長の下で編集業務を学んだ経験があった。本郷は戦時期の主婦之友社の編集局長で,戦後公職追放解除を経て集英社へと入社した。本郷が主婦の友社社長の石川武美から直々に女性雑誌編集を学んだ経験がかわれたためである。こうして主婦の友社の編集DNAは『ノンノ』にも受け継がれているだけではなく,『主婦の友』が重視した読者の悩みに応え,彼女たちとコミュニケーションをはかろうとしていたことに,実用婦人雑誌と若い女性向け雑誌との連続性を見ることもできるだろう。
(文責:石田あゆう)