出版史研究の手法を討議するその4 牧 義之 (2015年2月11日)

■関西部会 発表要旨(2015年2月11日)

出版史研究の手法を討議するその4
「文学研究と出版・検閲研究の接続点」

牧 義之
(日本学術振興会特別研究員PD)

1、はじめに
 研究者間における出版史研究のより活発な議論と成果進展のため、ベースとなる研究手法、研究の進め方、評価モデル、そして定義などを共有する「出版史研究の手法を討議する」シリーズ。第4回目の報告者である牧は、昨年末に刊行した『伏字の文化史』(森話社、2014年12月)における調査方法の事例などについて報告した。これまでの3名がメディア・雑誌研究を軸としているのに対して、報告者は主として文学・検閲制度研究と出版研究との接続を議題として掲げた。

2、報告内容
 文学研究には主に二つの側面がある。一つは「言説研究」としての側面で、作品の読解(読み)を更新することが目的である。もう一つは、作品を発表する媒体と作品との関連を考察する「メディア分析」の側面で、過去には前田愛、永嶺重敏、紅野謙介らの成果がある。報告者の立場は、その両方に軸足を置きながらも、「メディア分析」の方に比重を置いている。
 近年は文学研究者による検閲制度の研究や分析が盛んになってきている。文学を中心とした検閲研究グループをその主体ごとに分ければ、日本大学の紅野謙介氏を中心としたグループ、早稲田大学の十重田裕一氏ら文学研究科が中心のグループ、プランゲ文庫資料の調査や分析を行なっている山本武利氏を中心とした20世紀メディア研究のグループ、そして中京大学の浅岡邦雄氏を中心としたグループ、おおよそこの4つに分けられる。「検閲」という同じ対象を据えながらも、視点や手法によって棲み分けがなされていると言えよう(他に河原功氏(台湾)や佐藤卓己氏(歴史研究)なども)。
 検閲研究には歴史研究としての側面があるが、現状として文学研究からのアプローチが強い。内務省の出版警察に関する全貌が見えない中で、個別の作品・作家への言論統制の有りようを映し出すために、「発禁」という処分の実態や作品の改変などは、作品への新しい見方を示してくれる。
 報告者の手法としては、検閲制度が文学作品に与えた影響について考察を行なっている。手法の具体例としては、記事や回想を通じて、当時の編集者の思惑を作品分析へ取り入れること、あるいは禁止や削除といった、当局による処分への対抗策はどのように行われたのかを誌(紙)面から探ること、そして、大正時代に実施された「内閲」措置の実例とその後の「分割還付」制度の試行について、法制の面からも分析を行うことである。また、伏字記号の変遷を辿ることで、通史的な考察が困難な検閲制度を幅広い時間設定(明治後半~戦中期)で分析することができた。
 戦前・戦中期に刊行された図書で、現在国立国会図書館に所蔵されているものは、内務省から旧帝国図書館へ送られた「内交本」の可能性がある。この内交本には、流布本には記載されていない正式な発行日が奥付に手書きで訂正されている場合が多いため、報告者は、国会図書館蔵書の印や書き込みを特に注意深く点検している。その結果得られた成果が、拙著第3章の萩原朔太郎『月に吠える』の正式な発行日の確定と納本実態の分析である。資料によって作品の新たな側面を見出すのが、出版研究と文学研究の接続によって可能となる。その可能性は、今後のデジタル環境の整備(国立国会図書館「デジタル化資料」や、各種データベースの充実)によって、より拓かれていくだろう。

3、ベース研究の成果報告方法
 議題とは離れるが、個々の成果を後世にまで参照される「ベース研究」にするにはどうしたらよいか、という論点も補足的に掲げた。整理された個人全集や書誌情報などのベース研究の上に行われる文学研究は、物語を分析する際には描写の細部に拘るミクロ視点が主となる。その一方、出版研究は社史などを扱う(あるいは歴史として組み立てる)点で、根本的にマクロ視点からのベース研究である。それは、他(多)領域に参照されるべき成果が期待されるものでもある。多様に受容される「複合的なメディア研究」のためには、データベースの構築や所蔵情報の整理、あるいは網羅的(総合的)なベース研究成果の公表などが求められるだろう。佐藤卓己『『キング』の時代』や、阪本博志『『平凡』の時代』は、時代状況の把握とメディア分析とを巧みに融合させた、長く残る成果であると言える。
 参加者からの質問としては、デジタル資料の扱い方や特性をどう見極めるのか、出版研究の成果はどの程度、文学の「読解」行為に影響を与えられるのか、また、資料による歴史構築の確実性はどの程度、どのように担保できるのか、そして特定個人に関する資料の扱い方をどうするのか、といった点が出された。
(文責:牧義之)