第5回日本出版学会賞 (1983年度)

第5回日本出版学会賞 (1983年度)

 第5回日本出版学会賞の審査は,日本出版学会賞要綱および同審査細則にもとづき,1982年10月1日から1983年9月30日までの1年間に発表された出版研究の領域における著作を対象にして行われた.
 本審査のため,審査委員会は1983年10月26日から84年3月26日までの間に,計5回開催された.審査作業は,慣例にしたがい,先ず委員会事務局が収集した対象期間内出版関係著作リストおよび会員からの推薦(アンケートによる)を基礎にして包括的な検討を加え,ひろく候補対象たりうる著作の発見につとめた.つづいて,第1次選考,第2次選考と対象をしぼる作業をすすめ,慎重な審査を行った.
 その結果,審査委員会は香内三郎著『活字文化の誕生』(晶文社刊)を授賞候補作とするとの結論に達した.


【学会賞】

 香内三郎
 『活字文化の誕生』(晶文社)

 [審査結果]
 本書は15世紀後半から18世紀,つまり活字文化の濫觴からその成長期までを,イギリスを中心に実証的に把握した研究書である.まず,グーテンベルク,カクストン,プランタンら初期印刷業者の足跡が当時の印刷技術や印刷コスト,さらには受け手の階層や意識などとの関連で捉えられる.つぎにこれら初期印刷業が開発した技術が,17世紀のピューリタン革命のなかで,言論戦に駆使される過程が明らかにされる.とくにここでは,いまだオーラルカルチャーが支配的であった時代に,その拡声機として活字文化が介入し,政治過程に大きな影響を与えた点が,著者の労作『言論の自由の源流』(平凡社,1976年刊)の成果を生かしつつ解明されている.そして18世紀では,市民社会に浸透し,多数の読者を獲得してきた活字文化が,新聞ジャーナリズムの形となって,政治を動かそうとしつつも,政治に動かされる姿をダイナミックに描いている.18世紀の活字文化の担い手としては,ジャーナリストとしてのスウィフト,デフォー,スチールの3人が登場している.
 本書の特色は,活字メディアを使って活躍した著名な政治家,思想家,イデオローグたちを視野に入れながらも,彼らよりも著名度の低い初期印刷者,ジャーナリスト,つまり著者のいう「思想」の現実の媒介者を主人公におき,かれらの比較的地味な足跡を,当時の政治史,社会史のなかで正確に位置づけていることにある.本書は,その書名から推測されるような旧来の印刷出版文化史とは異なり活字文化,活字ジャーナリズムの社会史,思想史,政治史といってよい画期的な構成と内容になっている.本書の刊行が出版史研究の新天地を拓いたことは確実である.
 本書はグーテンベルクの伝記を除いて既発表の論文の集成であるが,巻末の主要文献一覧からわかるように,内外の最新の文献を使って可能なかぎり加筆されるばかりでなく,相互の論文の関連づけも試みられている.さらに多様な図版,統計も,本書の内容に従って適切に配置されており,やや読みづらい文章の理解を容易にするものとなっている.

 [受賞の言葉]

 これからやること  香内三郎

 砂漠の空から魚が降ってくる,という表現がどこかの国にあるようだが,今度突然に学会賞をいただいて,本当に有難く思っている.私は「読む」ことは習慣化して出来るが,「書く」ことはなかなか出来ない,16世紀ヨーロッパに沢山いた偏・リテレイトの種属の系譜に入る人間なので,つたない,書いたもので賞をいただくのは,なんとなく気恥ずかしい.が,これを機会に出版学会に入れていただいたので,これからやろうと思っていることを1,2,書かしていただいて,受賞の言葉にかえたいと思う.
 なにを基準にとるかは問題であるが,イギリスにおける「活字文化」の定着,オーラル・カルチュアへのヘゲモニー喪失を,私は18世紀初頭と考えていた.活字文化の誕生も,そのあたりを終点にして構成してある.しかし,それは民衆文化との関連でみるかぎり,もっとズラして,18世紀末19世紀初め,まで拡げてみるべきではないのか.その時期,語り伝えられているバラッド,民話を集めて歩いているウォルター・スコット(Walter Scott)と,オーラル・カルチュア圏内の住民との出会いを分析しているヴィンセントの論文(David Vincent;The Decline of the Oral Tradition in Popular Cultue.)などをみると,とくにそう思われる.
 スコット自身が後年,世紀有数の「大衆」作家となることが象徴しているように,そこまで時期を下げてみると,それは初期の出版「大衆化」(第1次のというか)の時期,ロマン派の詩人らが軽侮の意味をこめて〈Reading Public〉といった造語を流行らせる時期にあたっている.媒体の位相転換は,この過程とあわせて考えていったほうが,より陰影に富んだメディアと人間とのかかわり,を明らかに出来るのではないか.
 もう一つは,16世紀の問題である.始祖カクストこの貿易商人的性格が素直に伸びたせいか,この世紀のイギリス印刷者にはあまり代表性のある面白い人物はおらず,それもあってか,私の本もふくめて,「革命」の世紀へとひとまたぎに飛びこえられる世紀になっている.
 だが,逆にそれだからこそ,政治権力が「知識人」を最初に,大量に動員し,ものを書かせ,出版物の「政治言論」化が開始するのが,この世紀になる.
 現実の力がすべて有効性を失った時,外交的,軍事的あらゆる脅しとすかしを使って教皇庁の承認をとりつけようとするが,情況上どうにもならなくなったヘンリ8世が行なう離婚正当化のカンパニアである.万策つきた処で「言論」が動員され,しかもルネッサンス知識人の多くがコミットした,この尨大な「言論」製造労力の効果が,どうみてもパッとしない――その後の物書きの悲喜劇を凝集しているような過程の分析,である.
 全くの徒労に終ることにこき使われる500年前の物書き群像が,わが姿をうつす鏡のようで以前はあまりやりたくなかったが,私も少しは解体したのか,どうせファルスならそれでいいではないか,やってみようと思うようになった.新しい仕事に取組むことで,なにか少しでも,学会のお役に立てれば,と願っている.


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