第12回日本出版学会賞 (1990年度)

第12回日本出版学会賞 (1990年度)

 第12回日本出版学会賞の審査は,日本出版学会賞要綱および同審査細則にもとづき,1989年10月1日から1990年9月30日までの1年間に発表された,出版研究の領域における著作を対象に行われた.審査委員会は1990年11月19日から1991年4月15日までのあいだに計5回開かれた.審査作業は(1)審査委員会の委嘱により大久保久雄会員が収集した対象期間内出版関係書籍リスト,(2)審査委員からの各専門分野における関係著作情報,(3)会員からの推せん(アンケートによる)および(4)木野主計会員を通して依頼作製した出版関係論文リスト(古山悟由氏編集)を基礎として行われた.
 審査の結果,今回は該当作品なしとし,佳作3編および出版学会賞特別賞1点を選んだ.佳作3編と特別賞の授賞理由は以下の通り.

 以下3論文は雑誌論文という性質上いずれも未完成の作品であるが,その達成というよりは出版研究を着実な方法によって一歩前進させた点に着目し,奨励賞の意味を持って佳作とした.なお,候補作品としてはこの他に,宮下志朗『本の都市リヨン』(晶文社)および小出鐸男「出版業と産業化の実証研究(4)」(「出版研究」20号)があげられたが,前者は全体として固有の出版史研究を目ざしたものではなく,また後者はなお継続中の論文と思われるので対象外とした.


【佳作】

 牧野正久
 「ドイツ理工系出版界の構造分析」(「出版研究」20号)

 [審査結果]
 牧野論文は第一次,第2次両大戦の戦間期,すなわち近代科学の発展史の中で,ドイツがその中心地の役割を担った時代における,ドイツ理工系出版業界の構造を,出版書目の分析を通して実証的に解明している.
 国際比較・時系列比較を伴わない一時代,一地域の構造分析として本論文は,科学と科学出版と社会の相関を分析する試みの第1歩にとどまるが,その着実な分析手法は出版研究の一般的レベルの向上に資するところで大であると評価された.

 [受賞の言葉]

 出版の果した役割  牧野正久

 思いがけない受賞であった.賞をうけて数日あれこれと考えていると,論文を書きあげるまでの3年ほどの間に幾つか幸運な出逢いが続いたことを想いだしてきた.
 この学会に入会するため事務所を訪れたときに山口さんの『ドイツ出版界の群像』最初の数冊とはじめて対面した.辿っていくとこれが48冊も刊行されていたことが判るのだが,それまでには布川さん・稲岡さん・山口さん御本人そして書協資料室の方の御案内を経て,やっとその全冊と国会図書館で出逢ったのは1年近くたったころであった.大変な御努力の作であるが,理工系の出版社の記事は多くなかった.
 実はドイツよりも,出来ればイギリスやアメリカの理工系出版界の構造をまず把握したかった.そこで専門書を多年にわたり輸入してきた丸善の「本の図書室」で,夥しい英米書の販売カタログをみせてもらったが,思わしい資料が無い.そんな中で1924年のドイツ書大販売会の目録を偶然発見した.ドイツ分析の中心となる物ができると個々の社史も活用しやすくなる.ただ私が特に関心を持つシュプリンガー社は社史がでておらず,強く頼んで略史を得た.それは小冊子だが概略があり嬉しかった.
 社毎の書物点数を数え,整理するという,(論文の中心とした)気の張る作業が長く続いたあとに好運が訪れた.以前からお誘いを受けていた箕輪さんの大磯宅に伺い,書庫でヒラーとストラウス編の大冊『ドイツ書籍出版業』を手にして,あまりにもタイムリーな登場にわが目を疑った程である.その後苦手なドイツ語と2カ月格闘して報告をまとめることができた.こうした出版界内の人の縁と援助はまことに有り難かった.
 ところで論文中で約束した次の課題を解く鍵は残念ながらまだ何も見付からない.そしてこの度の受賞は早く努力せよと督促をされたように思う.資料館設置など出版業を研究する気運がもりあがってきているので,良い解でなくても,日本について第一近似ぐらいの描像は早く提出してみたい.
 科学や技術の進歩に対して出版の果した役割は随分大きかった筈だが,科学史家も科学者もそうした事をあまり考えていない.出版人の手で実証的にこれを明らかにしたいと念じている.


【佳作】

 渡辺慎也
 「文部省蔵版教科書の地方における翻刻実態」(「出版研究」20号)

 [審査結果]
 渡辺論文は稲岡勝の先行論文「明治前期教科書出版の実態とその位置」を踏まえ,同時期における文部省蔵版教科書の地方における翻刻出版実態の一例として,宮城県を取上げ,出版された原本,および県庁学事文書,当時の新聞記事等を素材として,実証的に研究したものである.出版史研究としてとくにその資料の博捜と検証方法が評価された.

 [受賞の言葉]

 もう一つの視点から  渡辺慎也

 この度の受賞は,全く思いがけないことでした.光栄に思いますとともに,感慨無量でございます.ゼロから出発した私を,今日までご教示,ご支援くださいました多くの方々に,この場をお借りして,心から御礼を申し上げます.私のテーマは,稲岡勝氏の先行研究「明治前期教科書出版の実態とその位置」を受け,宮城県を例に,文部省蔵版教科書の翻刻実態について,「翻刻教科書原本・宮城県庁学事文書・当時の新聞記載事項」を素材とし,書肆側の活動面から,検証を試みたものです.テーマにつきましては,別途時間を頂戴していますから省かせていただき,日頃「教科書」について感じていることを,若干申し述べることとします.
 これまで,「教科書」の検証は,教育史学の独壇場でした.しかし,それらはあまりにも,「いかなる政策に基づき・だれが書いたもので・その内容は云々」という,この3点に絞られ過ぎてしまったようです.
 私は「教科書」を「いつ・どこで作られ・どれだけのものが・いかなる方法で必要とするユーザーへ届けられたか」という,もう一つの視点から,積極的に解明する必要があると考えています.また同時に「史的事実としての教科書原本の所在確認」についても,緊急の課題として取り組んでいます.
 私は,将来「教科書」が,“メディア”として見直され,新たな研究対象として採り上げられるものと,固く信じています.そうしてこの場合,なによりも「原本」がなければ先へ進めません.したがいまして,私は宮城県というエリア内で発刊された「教科書」の全体像を,すべて「原本」を基に,組み立てることとし,そのために行動しています.
 完成すれば,そこから今まで見えなかった“なにかがキット見えてくる”と信じ,今後も努力を重ねていく所存です.今回を機とし皆様からご鞭撻いただければ幸いです.


【佳作】

 根本 彰
 「日米比較を通してみる出版流通と図書館との関係」
 (「図書館情報大学研究報告」第8巻2号)

 [審査結果]
 根本論文は,本来単一の社会現象である印刷メディアによる情報の伝達が,これまでの研究ではとかく生産・流通・消費等分断された形で取扱われることが多かったのに対し,統合的にその効果と効率を把握・分析しようと試みたものである.そうした統合の努力は必ずしも本論文において十分に成功しているとはいえないが,その堅実な方法と緻密な推論は,この領域の研究を1歩進めたものと評価された.

 [受賞の言葉]

 境界領域のテーマ  根本彰

 思いがけず,隣接分野の学会から賞をいただけることになり,まことに光栄にまたうれしく思っている.また,本年度から出版学外の研究論文を広く渉猟して,そのなかから学会賞の候補作を選考することになったと授賞式の場で知り,そうした配慮をしてくださった選考委員の皆さまに,改めて,心から御礼を申し上げたい.
 本研究は,私にとっては図書館コレクションに関する一連の研究の一つにあたる.図書館コレクションを分析するには,図書館資料の供給者としての出版およびその流通についての全面的な解明を欠くことができない.改めて,図書館情報学および出版学の双方における研究状況を調査してみると,このような境界領域のテーマに関してはわが国でも欧米でも参照すべき研究はほとんどないことに気づいた.そのため,本研究は初歩的な方法によってではあるが,図書館と出版についての実証的分析を行なったものである.
 図書館は,従来,出版物の流通市場における機関消費者あるいは公的消費者とされてきた.出版の経済学という分野が成立するとすれば,図書館は出版物市場における公的セクターと見なされるべきであろう.こうした前提に立って,この研究は,日米の出版統計や図書館統計を比較して,出版の構造,流通の実態,そして消費における図書館の位置づけの相違を明らかにしようとしている.
 様々な統計書をやや強引に参照していることなど,本研究に限界が伴っていることは,自らよく承知しているつもりである.また,設定した問題の大きさの割には得られた結果が常識的であり,研究が成功しているとは言えないのは審査報告にあったとおりである.けれども,少なくともこのような未開拓の研究領域の存在を明らかにしたことが評価の対象になったものと理解している.
 箕輪成男会長は,『出版ニュース』1990年6月中旬号の論文「孤立化する日本と出版学」において,出版学が日本のアカデミズムには珍しく欧米に倣うべき学問モデルをもたないため,世界をリードできるかもしれないと述べている.輸入学問たる図書館情報学を追いかけてきたものからみれば,うらやましい限りであるが,それだけたいへんな道のりが待ち受けていると思われる.
 私は,前から,出版物を中心とした情報生産の経済学が必要であり,図書館情報学もその一部を担うことができると考えてきた.図書館情報学でも制度論的な研究は近年始まったばかりであるが,出版学とし協力しあえる面は多々あるものと思われる.たとえば,そうした意味でのパイオニア的な作業であるフリッツ・マハルプの理論的研究(注)などを出発点に,その方向を模索できないかと考えているところである.

(注)Fritz Machlup, Knowledge: Its Creation, Distribution, and Economic Significance, Princeton University Press, 1980-1984, 3vols.


【特別賞】

 彌吉光長
 『未刊史料による日本出版文化』

 [審査結果]
 本書は未完の研究シリーズであるが,京都・大阪・江戸の近世出版文化発展の様相,さらに近代の出版文化に考察が及んでいる.とくに著者多年の史料発掘の成果を整理し,史料翻刻という形式で発表され,今後の日本出版史研究の発展に資するところ大であると認め,特別賞授賞作品に該当するものと判定した.

 [受賞の言葉]

 学会賞特別賞を受けて発想を  彌吉光長

 この5月学会賞特別賞を頂いて感謝と共に発酵した思考をお頒けしたい.
 私が出版に関係したのは1947年新聞出版用紙割当事務局に入り,総理庁世論調査第1回講習を受け,国際ドキュメンテーション連合第38回に出席してコンピュータ実習と国際情勢を知り,“Publishers’Weekly”MITグメリン・インスティチュート,M.M.C図書館を訪れたことに始まる.布川氏を中心にした「出版百年史年表」編集の3年間の苦心は,私にとってその後40年を支配することになった.
 明治初年の漢文とその後の口語体では文化の隔絶が劇しい.複製した稀書も注釈なしでは学者でも読みえない.上野図書館で何人もの学者に読むサービスをした.それでゆまに書房新井秀夫氏が複製の京都書林仲間上組記録複製に対する非難状に困っているので「私の強引に買込んだ史料だから,私が活字化してかなをつけよう」といった.しかしその種のものは多いので,統一して系統的にしたい,というので遂に5冊の計画を立てた.
 しかし京都は2巻で収まらず,大坂と江戸の未刊史料は漸く2巻及び明治の未刊史料で10巻に倍増した.ないと思った江戸書籍屋仲間記録が早稲田大学図書館に残っていて,同館紀要16,17巻に金子宏二氏が翻字されたものも併せて2巻を増した.蘭学出版(石山洋)名古屋出版(岸雅裕)の両氏の援助で10巻になり,10巻目を本日終った.これから目次の英訳にかかり,総索引の難事業がある.
 40年終わってみれば重荷を降したようにほっとした.
 私はハスコヴィッチの文化人類学を積極的に異種文化を自ら進んで取り入れた明治維新の先駆者の苦心が今緊要だと思う.知の情報だけが進みながら,情と意を欠いたのでは真の人間性がないではないか.異種文化の脅威を忘れず立ち向かう意と伝統の転換を敢えてする情.この2つの困難な征服から,先駆的で天才的な見透しが生ずる.出版はコンピュータよりおそいが,彼等の見失った域は見落したものを1歩1歩進めて行く.1920年ヴントは没したが,大作『民族心理学』10巻をその死までに完成した.私は死ぬ直前まで近未来(モダニテー)を追求したい.共鳴してくれる人ありますか.私の一切の書籍もノートも出版研究博物館に整理して寄附することにしました.

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