第19回日本出版学会賞 (1997年度)

第19回日本出版学会賞 (1997年度)

 第19回日本出版学会賞の審査委員会は,1997年11月17日から98年4月20日までに,計7回開かれた.審査作業は,審査委員会の委嘱により古山悟由会員が収集した対象期間内出版関係著書・雑誌論文リストおよびアンケートによる会員からの推薦,各審査委員の情報を基に行われた.
 その結果,雑誌論文の分野では,ロバート・キャンベル「東京鳳文館の歳月(上)(下)」(『江戸文学』15-16,1996.5-1996.10,ぺりかん社)が,新聞や冊子巻末の書目広告の記事等を原本その他とクロスさせながら,「明治15年から21年までの6年間,東京府下で営業した書肆・鳳文館の出版活動」(上記論文凡例)を発掘した点が注目された.しかし本論文が「一社の志向と歴史的条件の考察は,別稿にゆずる」として「主として書目の発行事項を年表形式で整理」する段階で発表されたものであることから「別稿」の完成を待って考慮すべきという意見と,きわめて史料に乏しい明治前期の出版史研究にとって,これ自体受賞に値する貴重な収穫であるという意見が平行線を辿り,結論を得るにいたらなかった.
 単行本では鈴木徹造著『出版人物事典明治-平成物故出版人』(出版ニュース社)が長年の努力が生んだ力作として注目されたが,元来取次店の週報に連載されたものであるため,そのときのスペース等の条件が反映してかやや惜しまれる点が指摘され,残念ながら受賞に至らなかった.
 以上のような経過のなか,次に掲げる二著が最後まで授賞対象として検討され,今回の日本出版学会賞とすることに決定した.


【学会賞】

 武塙修
 『流通データでみる出版界1974-1995』(出版ニュース社)

 [審査結果]
 わが国の出版物流通は,近代出版業が誕生した20世紀前半以来,多くの特質に支えられてきた.とりわけ取次-書店のいわゆる通常ルートを軸にした委託制度と定価販売は,市場の拡大に貢献し出版業の発展を促した.しかし時代の変化につれ,そうした通常ルートを補完したり,否定したりする多様な流通経路が生まれ,さまざまな問題を提起しているのも事実である.このことはここ数年間の再販売価格維持制度をめぐる論議を通しても窺い知るところである.
 そうした中にあって1974年以来,二十数年にわたり流通経路別に出版物の販売実態の変遷を追いつづけるとともに,それぞれの特質を分析してこられた努力は,余人のよくするところではなく,つとに高く評価されてきた.
 今回出版された『流通データでみる出版界』は,そうした武塙氏のたゆまざる努力の集大成であり,数少なく,かつ現状批判のレベルに止まっていた出版流通論の飛躍的向上に貢献するものであり,たんに出版界の実益にたいし寄与するだけでなく,出版学の今後の方向づけに与える影響はきわめて大きいといわなければならない.

 [受賞の言葉]

 受賞の御礼にかえて  武塙修

 大半の株主総会の営業報告では,まず景気などのマクロ経済動向や競争状態を一通りなぞった後,自社業績の説明に入るのが定石となっているが,西友の渡辺社長は「業績の推移を消費不況とか,金利の高低とか,天候とか,外部要因のせいにするのは止める」と宣言,あくまでも自社の業績は自社の努力で引きあげる,との心構えを株主に訴えて,すでに98年2月期の決算短信の「営業の概況」の書き出しでは「当社は…新経営執行体制を確立し…」とした新たな書式を導入した.
 「自分の会社の再建だけでも大変なのに(今期西友は200億円の赤字決算)マクロ経済をうんぬんするのはおこがましい」との思いが背景にあるようだ.〔日経流通10.5.21〕
 10年6月29日付読売の1面の大きな見出し,
「景況感一段と悪化・中小企業より深刻」には,月曜日の朝早々からオドされた感じ.
 イトーヨーカ堂の鈴木社長は「金融破綻・年金への不安・失業率の急上昇などが重なって消費者の心理が萎縮している.先行不安から消費者は財布のひもを引き締めている.個人消費の不信は経済学というよりも心理学の問題だ,この不安感を解消しない限りGDPの60%を占める個人消費は回復しない」と述べている.まさにその通りで,先ほどの新聞見出しでも期せずして「景況感一段と…」と感が大きなウエイトを占めているところをみても,これを書いた記者自身も,ペンのウラにこの思いがちらついていたのではないだろうか.
 98年度に於ける政府のGDPの見通しは,520兆円となっている.出版業界に於ける書籍雑誌実販売額は4兆円前後である.GDPを左右している各部門の指数に対して,この4兆円級がどこにどのような影響を与えているだろうか.昔から景気に左右されない出版界といわれていたのは,このGDPの数字算出に殆ど影響を与えない,又影響をうけないという体質からきたものかと思われる.
 テレビに新聞,雑誌に,出版不況感は増幅されて,先行不安感から造る方も,売る方もそして買う方自体も,この感のカラの中にとじこもって経済全体を卵とじのようにしている.
 97年度中小企業白書は,最近3年間の小売業の売上高の変化について問診の結果,5年前に比べて売上高の減った企業が4割強,増えた企業が5割弱との応答を得ている.結構増えている企業が多いのに,一般には,減った,消えたのオンパレードで,増えた人達は何か悪いことでもした子供のように声をあげない.
 ここで出版業界の内幕をみてみよう.(要点のみ列記)
 平成8年売上額(対7年)
(1)書店の場合 対象店数300件
  この分の売上総計1兆2800億円
  売上増加207件 減少93件 売上額前年比5.8%増
(2)出版社の場合 対象社数404社
  この分の売上総計2兆6400億円
  売上増加259社 減少145社 売上額前年比3.2%増
(3)取次店の場合 対象社数19社
  この分の売上総計2兆0140億円
  売上増加18社 減少1社 売上額前年比1.03%増
(4)即売店の場合 対象社数28社
  この分の売上総計3.50億円
  売上増加18社 減少10社 売上額前年比1.01%増
 世間が不況一色の平成8年(実態は平成7年分),出版業界は奇しくも4機関とも一応プラスの数字を示していた.対象件数の約3分の1の会社が赤字で,月を仰いで身の不運をなげいていた時,残りの3分の2は不況に無縁で月の兎とたわむれていたのである.
 そして1年を経た平成9年,この1年間に於ける返品ラッシュの影響をモロに受けて大手取次,大手出版社の業績がGDPのライン近くまで押し込まれることになった.この影響がどこ迄響いたか,98(平成10)年10月頃迄には前記の指数と対照できる資料が計算されるものと思うが,1社でも多くこの逆境をのり越えて,心理的不況感から脱出せられん事を切に祈って止まない.おそらく2分の1以上の社は,新聞記事があおる程ジタバタはしていないものと思われるが.


【学会賞】

 永嶺重敏
 『雑誌と読者の近代』(日本エディタースクール出版部)

 [審査結果]
 本書は近代を象徴するメディア・雑誌の受容史,すなわち雑誌がどんな読者にどのように読まれたのかを論述したものである.雑誌と読者の関係がどのように形成され,また階層,性別,教育水準等の諸要素に応じて,その関係がどのように変化してきたのか,それを教育雑誌,総合雑誌,婦人雑誌,大衆雑誌の各雑誌ジャンルから代表的な雑誌をとりあげて,その読者層と読まれ方を詳細に分析し需要構造の変遷を明らかにした.また序説において読書行為それ自体の歴史的変容を取り上げ,本編への恰好の導入部ともなっている.
 方法としては,同時代の有名無名さまざまな人々は新聞雑誌に書き残した言説(主として投書)を幅広く博捜し,かれらの視点からいわば出版回路の消費の側面を再構成した.そして同時に読者史・雑誌受容史の域を超えて,雑誌のスタイルから編集方針の変化・変容にまで考察のメスを入れて,日本における雑誌というメディアの近代の骨格形成をも,描出した手腕は見事である.
 読者史研究といえば,前田愛の古典的名著『近代読者の成立』が著名であるが,本書はそれ以来の,内容的にもそれに劣らない優れた研究といえよう.
 著者はすでに本書中の一編で佳作を受賞しているが,そのことは以上のような内容から今回の本賞受賞に接触しないとわれわれは考えた.

 [受賞の言葉]

 投稿少年たちの夢の跡  永嶺重敏

 このような伝統と名誉ある賞を受賞できましたことを光栄に思います.私のこれまでの十数年間の研究は,思い付きと少しのひらめきを史料で跡付けただけにすぎないが,ただ,その際にひとつの座標軸となったのは,ロジェ・シャルチエの次のような言葉であった.「読む行為の歴史学は,目による黙読という今日の読み方の系譜を探るだけにとどまることはできない.それは,すでに忘れられてしまった身体的所作や,姿を消してしまった慣行を再発見する任務を,負っているのである」(読書の文化史).忘れ去られた読書行為の諸形態を発掘し,今日とは異なった過去の人々の読書生活の異質性を明らかにすること.このことが一貫して私の大きな目標であった.その際に,雑誌を選んだのは,新聞に関してはすでに山本武利氏の研究が存在すること,図書は文学史的研究に偏りやすいことから,雑誌に決まったわけであるが,もうひとつ,私の投稿少年としての経験も大きく作用していたと思われる.
 中学,高校を通して,明治の少年達と同様に私もまた熱心な投稿少年であった.受験雑誌の文芸欄や新聞に短歌・俳句・詩・作文等を次々に投稿し,掲載されると友人達に自慢したものであった.それらの作品の大部分は今ではもう忘れてしまったが,ただひとつ覚えているのは,寺山修司が「花びらと,死にかけて醜くあがく蛾とを対比する目の鋭さ」と称賛してくれた次の字余りの一句である.
 「花びらを拾おうとすれば瀕死の蛾なり」
 先日,通勤電車の中で猪瀬直樹の『マガジン青春譜』を読んでいた時,やはり熱烈な投稿少年であった川端康成や大宅荘一の若き日の姿に,私自身を重ね合わせて思わず懐旧の念にひたったことがあった.
 雑誌の投稿欄には,さまざまな地域,時代の読者たちの無数の夢の跡が刻まれている.過去の読者たちを発掘すること,それは,自身の投稿少年としての過去,ひいては明治以降の無数の投稿少年たちに通底する,読者達のそのような夢の跡を発掘することにつながる.私もその一員である,近代日本の生み出した投稿少年たちは,雑誌,さらには活字メディアが最も輝いていた時代を象徴する存在である.そのようなさまざまな読者たちの「思い」の歴史を今後とも掘り起こしていきたいと思う.

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