第17回 国際出版研究フォーラム発表「編集者の育成環境について」富川淳子

編集者の育成環境について
――跡見学園女子大学を例に大学の出版教育における冊子制作授業のあり方を考察する

富川淳子
(跡見学園女子大学文学部現代文化表現学科)

 大学における編集実務教育として冊子制作を課題とする授業の目的と効果を論じることを趣旨とし,筆者が勤務する跡見学園女子大学文学部現代文化表現学科の授業を例に挙げて発表した。

 まずは日本の大学で行われている出版教育の多くが出版・編集の基礎知識の伝授および出版メディアの価値や社会的影響を考える機会の提供に主軸がおかれ,編集者育成を目的にしていないことを報告した。そしてその背景には大学教育で編集者の育成は難しく,入社後の経験を通して編集者として完成していくという見解が大学教員と出版関係者の間で主流を占めること。さらに卒業後,採用の少ない出版社に就職する難しさに加え,晴れて出版社に入社できても編集職に就けるかどうかもわからない状況があることを紹介する。

 このように大学において編集者育成の環境は整っていないといわざるを得ない状況のなかで,多くの大学が取り組んでいる編集実務教育はどうあるべきなのか。筆者が担当するライティング特殊演習という授業の課題として制作しているカラー20ページの冊子『Visions』を例に挙げ,その授業の目的と特徴を次のように説明した。

 何もないところから1冊を生み出す冊子制作はあらゆる制作プロセス段階で「想像力」「コミュニケーション能力」「洞察力」「決断力」など多様な能力が同時にいくつも求められ,しかも細かい作業の繰り返しも多い。しかし,冊子制作に必要な能力は編集者という専門的な職種に限らず,どんな仕事にも欠かせない能力といえる。従って筆者は『Visions』を制作する授業の目的を編集者育成ではなく,実践的能力養成におき,以下の3点をその教育成果を上げるための特徴としている。ちなみに実践的能力とは「入社した企業から一体何を大学で学んできたのかとあきれられない行動がとれる能力」と筆者は定義する。

 さて,『Visions』の特徴の1つ目は編集実務経験のある専任教員が担当し,市販されている雑誌と同じ手順で冊子制作を行う点にある。雑誌作りのプロセスは情報収集・下調べから始まり,完成まで15段階以上ある。『Visions』では苦労して次の段階に進んでも,なにか起これば戻ってやり直すことも含め,実際の編集部のやり方をほぼ完ぺきに実践する。当然,この手間のかかるプロセスをきちんと踏むと30コマの授業では済まないが,専任教員という立場が授業外指導も可能にしている。

 2つ目の特徴であるレイアウトを担当するデザイナーやカメラマン,校正者は雑誌業界の第一線で活躍するプロに依頼ということも実践的能力向上に大きな役割を果たす。例えば学生たちは担当ごとにページの設計図であるラフレイアウトを作り,初対面のプロのデザイナーにこのページで何を読者に伝えたいのか,どんな写真や文章で構成したいのかなどを説明する。伝えたいことがきちんと伝えられなければ,「これはどうするのか」など容赦なく厳しい質問を受けることになり,プロとの仕事を通じて,伝える難しさやプロのすごさを学んでいくのである。3つ目の特徴は完成した冊子は3000部印刷され,大学の入学案内として高校生に配布されることである。従って明確なターゲットとコンセプトをもつ。学生は常に「読者は何を知りたいのか」「この説明で高校生にわかるのか」と想像力を働かせながらページを作らなければならない。さらに大学案内として学外に配布されるという現実に直面し,情報を発信する怖さと責任の重さを感じることになるのだ。

 以上の3つの特徴により,『Visions』を制作する学生たちは担当ページに「商品価値」を付加する責任を担った企業人としての対応が求められる。基本的には学生主体で作り上げるが,学生が社会人と同様のレベルに到達するためには指導が必要である。筆者が行う指導とは各プロセスでここでの目的は何か,そのためには何をしなければいけないかを学生に考えさせる機会を作ること。その上で,やるべきことを「できるまでやり直す」を指示する役割である。例えば学生はプロの校正者に校正紙を渡す前に何度も読み直し,校正を繰り返す。冊子の中で同じ言葉なのに,ページによっては違う表記になっていないか。このような場合にはどうしたらいいのかを考えさせるのである。また学生が書いた原稿が「ターゲットに伝えたいことが伝わっていない」と筆者が判断すれば,3回でも4回でも書き直しをすることになる。

 こうして実践的能力に磨きをかけながら学生の手によって完成した冊子が商品として十分通用するレベルであることを認識してもらうために,発表会場で『Visions』の現物を配布した。発表後に寄せられた授業の受講生数や具体的な進行スケジュールなどの質問は他国でも編集実務教育が関心の高いテーマであることを示すものであろう。