第19回 国際出版研究フォーラム発表「デジタル時代の読書とは」山崎隆広(2020年11月6日)

《第3主題:モバイル・コンテンツの読書》
 デジタル時代の読書とは

 山崎隆広
 (群馬県立女子大学)

 
 本発表では、「モバイル・コンテンツの読書」というテーマのもと、読書環境のデジタル化の進行がもたらす認識空間の変容やその意味について、産業論的、歴史的、記号論的観点から分析を行った。
 発表は3部構成で行った。まずは冒頭で、コロナ禍における2020年上半期(1月~6月期)の日本の出版界の売上状況を手短かに確認した。2020年初頭から本格化した世界的なコロナ禍の渦は日本の出版界にもきわめて大きな影響をおよぼしたが、出版科学研究所のまとめによれば、2020年上半期の日本の出版市場の売上は、紙と電子をあわせて7,945億円と、数字の上では前年同月比2.6%の増となった。内訳は紙の出版物が6,183億円で同2.9%落ち込んだのに対して、電子出版は同28.4%増加の1,762億円。紙の出版物の売上減を電子書籍がカバーする形となったのである(注1)。コロナ禍の「巣ごもり需要」は、学習参考書や絵本などだけでなく、明らかに電子書籍の売上も後押しした。いまや我々にとってスマートフォンやタブレットPCは最も身近で日常的な必携品であり、そういったモバイル端末をインターフェースにして本を読むということはごく自然な行為となったといえるのかもしれない。紙で読むか電子で読むかの区別など、デジタルネイティブの読者たちにとってはもはや気に留まらないことかもしれないが、コロナ禍でいっそう進んだと思われる紙から電子へ、アナログからデジタルへ、そしていっそう身軽なモバイル端末へという読書環境と読書行為の変化は、産業論的な見地からのみならず、文化社会学的に、さらには認識論的、意味論的問題としても改めて考察すべき、きわめて重要なパラダイムシフトといえるのではないか。読者一人ひとりにとって、この変化は何を意味するのか。これが本発表の出発点であった。
 続いて、発表者のこれまでのいくつかの論考を振り返りながら、電子書籍誕生のもつ意味を「アメリカのプログラム」(注2)という視点から考察した。発表者は、1970年前後、米軍の分散型コンピュータネットワークとしてインターネットの前身ともいえる「ARPANETアーパネット」構想がスタートした時代とほぼ時を同じくして、コンピュータ組版システム(CTS)が米国や日本でも導入され、アナログ活版技術からデジタルCTSの技術へと出版制作環境がシフトし始めたことを指摘した。そして1971年、当時イリノイ大学の学生だったマイケル・S・ハートという無名の若者が、学内のコンピュータ管理者の厚意によって大型汎用コンピュータへの自由なアクセスアカウントを入手、彼はそれに対する謝意を示すべく、著作権の切れた過去の文学作品を無償で電子化し、誰もが自由にアクセス出来るアーカイブを構築しようという取り組みを始める。これが「プロジェクト・グーテンベルグ」の始まりであるが、カウンターカルチャー運動の成熟期(あるいは終焉期)の1970年前後という時代にアメリカから始まった電子書籍の「運動」が、それからおよそ四半世紀をへた20世紀末に、ちょうどその息子たちにあたるような世代のスタンフォード大学の二人の学生によって立ち上げられた企業によって、また異なる姿で「再生」されることに――その「運動」の名は「グーグルブックス・プロジェクト」である――、単なる偶然とは言い切れない、時を超えた連続性を認めざるをえないのではないかということを指摘したのだった。
 そして3つめに、発表者は、現在必要なのは、デジタル、モバイル時代の本や読書行為と、われわれ人間とマシンを介したデジタル読書の関係についての存在論的、意味論的観点からの考察ではないかという問いを提起した。この問題については、ブルデューやシャルチエの「所有possession」から「領有appropriation」への概念の移行についての議論を、読者自身が情報の管理者(curator)となった現代のデジタル読書の姿と相同的なものとして捉えつつ、さらにC・S・パースの記号論の知見を手がかりに、アナログ環境の読書の場とデジタル環境の読書の場の違いを意味論的観点から議論した。「それ自体は変わらない」独立した閉じた世界を構成するがゆえに逆説的に無限の解釈の可能性の場に開かれている紙の本の場と、無数の主体がたえずコミュニケートしながら生成変化を続け、読者自身が本という対象に「没入」していく結果、ある意味で内閉化していかざるをえない電子の本の場では、まず主体としての読者の定位の仕方から異なるのではないかというのが、ここでの議論の要点であった(注3)。書籍のデジタル化やモバイル化へと進む潮流をいたずらに拒もうというのではもちろんなく、しかしその一方でその急激な変化の流れに無防備に身を委ねるのでもない、いま自分の目や指先が触れているのはいったいどういった類の読書なのかを読者一人ひとりが意識することのできるような議論の場が、出版に関わる様々なアクターたちによって作られることが重要であると思われた。
 今回はZoomでのオンライン開催となり、3ヵ国からの発表者、参加者の為の事前の字幕翻訳の準備等々、韓国出版学会の方々には様々な点で多大なるご尽力と心遣いをいただき、発表者としても大変に貴重な経験を得ることができた。重ねて、深く御礼を申し上げたい。
 

1)全国出版協会・出版科学研究所『出版月報』2020年7月号4-5頁。
2)この概念については池田純一『ウェブ×ソーシャル×アメリカ――〈全球時代〉の構想力』(講談社現代新書、2011年)から多くの示唆を受けた。
3)ここでは石田英敬『記号論講義――日常生活批判のためのレッスン』(ちくま学芸文庫、2020年)の議論に大変大きな示唆を受けた。