「陸軍恤兵部と五日会」大澤聡(2022年5月14日、春季研究発表会)

陸軍恤兵部と五日会
――『銃後の我等』について

 大澤 聡
 (近畿大学文芸学部)

 
 本発表は、これまで光の当てられてこなかった慰問文集『銃後の我等』(五日会仮事務所、1932年4月20日発行)の成立の経緯を細部にわたって精査することによって、この文集のもつ歴史的な意義を確定させようとするものであった。
 当該文集は満洲事変および第一次上海事変のさなか、現地の兵士たちに献納する目的で、大衆小説家らを多数動員して編纂された四六判全82頁(+カラー口絵)の非売品の小冊子である。そういった性質もあってか、現在、所蔵する機関はほとんどない(奈良県立図書情報館、北九州市立大学図書館の2館くらいか)。また、文集に言及したものは管見の限り、復刻版『文藝懇話会』(1997年)の解説として書かれた高橋新太郎「馴化と統制――装置としての「文芸懇話会」」が存在する程度である(のち、高橋『近代日本文学の周圏』[2014年]に収録)。
 冊子の表紙ウラには陸軍恤兵部による説明として、製作費は「国民の恤兵寄附金」から拠出されたとある。国民の献金・献品の受付や管理の業務をになった恤兵部については近年、押田信子『兵士のアイドル』(2016年)、同『抹殺された日本軍恤兵部の正体』(2019年)が取り上げた。そこでは慰問雑誌の先駆である『恤兵』の創刊号(1932年9月1日発行)に関する紹介もなされ示唆に富む。というのも、そちらも『銃後の我等』と同様、「五日会」が編纂にあたり、恤兵部が恤兵金によって運営するメディアだったからである。つまり、内容および経緯の両面から見て、『銃後の我等』が結果的に『恤兵』に4か月半さきがけたパイロット版となったことが垣間見えてくる。
 1931年9月に勃発した満洲事変をうけて銃後運動が活発化、新聞各紙による煽動の効果もあり、陸軍省の恤兵係(翌年1月には恤兵部に格上げ)の窓口には慰問金や慰問袋をもった国民が殺到した。そのころ、軍部の有志は「第三クラブ」などが大衆小説家との懇談の場を数度もうけ、国民への広報活動の回路を模索しはじめていた。そうした動きは文壇ジャーナリズムでもゴシップの種となり、接見に応じた作家たちは左翼陣営から非難されるところとなる。ところが、たとえば大衆小説家側の代表的な存在である直木三十五は年初に発表した「文藝時評」で「ファシズム宣言」を行なうなど、人を食ったパフォーマンスで批判を嘲笑って見せるのだった。
 そうした経緯があったのち、第三クラブの呼びかけで2月5日に芝浦雅叙園で「五日会」が開催される。参加した作家や挿絵画家など12名はいずれも大衆文学の代表的な存在で、軍人側の中堅将校ら12名は3月事件や10月事件で知られる「桜会」のラインがひとつの軸をなしている。当日は進行中の事変をめぐる情報交換がなされたほか、これに先行して年末に開催された「十四日会」ですでに提案のあった慰問文集を制作・頒布するというプロジェクトの相談ももたれた。会合は各紙で報道され界隈の注目を集め、以後毎月5日に定例開催することに決まりはしたものの、その後どの程度開催されたかなど実態は不明のままである。
 半年ほど経った7月下旬には、赤松克麿らの日本国家社会党と合流し、準備会期間を経て「国家社会主義文学同盟」へ発展したことなどが当時の報道から透かし見える。ただし、これはあくまで部分的な合流であると考えられ、五日会の名はその後も残存しつづける。じっさい、本発表の眼目である『銃後の我等』の表紙左下にあった「五日会編纂」は、その本格版ともいうべき『恤兵』にも引きつがれ、1939年5月に『陣中倶楽部』と改題しリニューアルする直前、3月発行の第41号までそれは変わらないのだ。組織的な実態としては早々に消滅した可能性が高いものの、その名だけは少なくとも1939年までは残ったことになる。また、五日会の初回会合に参加した作家たちはしばらく寄稿者としても協力している。
 五日会の存在は、日本文学研究の方面でそれなりに言及されてきた。けれども、これまで目をむけられてこなかった『銃後の我等』の成立経緯を明らかにすることで、会の主な目的がじつのところ冊子編纂にあったことが見えてくる。同誌の奥付にある編者の名義は博文館の堀経道になっているのだが、十四日会ときのパイプ役が彼だったことを鑑みるに、五日会の出発点がそのあたりにあったこともまた浮かびあがってくる。
 本発表では、これらのほか、掲載されたいくつかの作品の趣旨や、作家側の代表者的な立場にあった三上於菟吉の立ち回りなどについても実証的に触れ紹介した。総じて、ミッシングリンクとしての『銃後の我等』をつうじて、一連のコンテクストを整理し、そのことにより、大衆文学研究、銃後の生活をめぐる歴史研究、慰問メディア研究などを連結させる視座の一端を提供することができたものと思われる。
 発表をうけての質疑応答の時間には、白井喬二など個別の大衆小説作家についての動向の質問がフロアから提起され、具体的な追加報告がなされた。あわせて、発表内で説明しきれなかった直木三十五の政治への関心の由来についての補足もあった。