「戦後日本における教養言説の展開」松井健人(2021年5月8日、春季研究発表会)

戦後日本における教養言説の展開
――1945-1999年の朝日新聞紙面を対象として

 松井健人
 (日本学術振興会特別研究員PD・筑波大学)

 
 本発表は、1945年から1999年の朝日新聞紙上における「教養」言説の展開を経年的に考察した。これまでの研究者・論者は、「戦後日本における教養の意味内容の多様化」という見解を提唱するものの、「教養」という語が「どのような形で」意味内容が多様化しているのか、データ・史料に基づいて明らかにしていない。
 この課題に対して、本発表は、教養の意味内容の多様化を経年的に確認できる媒体として朝日新聞を選び、教養にかかわる記事を経年的に分析することで、「教養の意味内容の多様化」理解を、精緻化することを試みた。
 研究手法として、「朝日新聞記事データベース 聞蔵II」を用いた。1945年8月15日から1999年12月31日の間で、朝日新聞の地方版・夕刊を含み、広告を除外した形で、「教養」をキーワードとして検索を行った。検索結果のヒット件数は1005件であった。この場合、「教養学部」に関する人事異動や場所としての言及、あるいは肩書として「教養学部教授」がヒットするだけ、といったノイズが発生している。そこで、1005件すべてに目を通し、単なる場所への言及・人事異動・肩書といった理由でヒットしている記事を取り除き、「教養」がなんらかの意味を有した単語・語句として言及されている記事を選定した。その結果、記事件数は1945-1949年が11件、1950年代が118件、1960年代が332件、1970年代が162件、1980年代が55件、1990年代が40件であった。総計は718件である。
 さらに、これら718件の記事を内容にしたがって、①読書・出版、②TV・ラジオ放送、③大学・学校教育、④人格あるいは人物形容、⑤女性、⑥集会・公開講座、⑦その他(社説など)の7カテゴリーに分類した。これが以下の表Iとなる。内容分類に際して、たとえば「婦人教養の集い」などの記事を⑤女性にかかわるもの、かつ⑥集会・公開講座にかかわるものとして、記事内容に従ってダブルカウントしているため、表Iの数字の合計は、母集団となる718件の記事の件数とは一致しない。

 この結果をもとに、時系列と言説のカテゴリーを合わせて考えると、朝日新聞紙面上における年代と教養にかかわる言説は、以下のように年代を区分できる。

 1945-1950年代の戦後初期の「教養」報道
 1950-1990年代の教養書(カテゴリー①)
 1960年代の教養番組(カテゴリー②)
 1960-70年代の婦人教養の集い(カテゴリー⑤および⑥)
 1970-1990年代の大学の教養課程廃止と教養教育論(カテゴリー③)
 1980-1990年代の教養とビジネス・働く女性(カテゴリー④および⑤)

 そこで、この年代区分にそって、教養にかかわるどのような言説が展開していたのか、実際の紙面に基づいて検討を行った。結果のみを記述すると、以下の通りとなる。
 朝日新聞紙面における教養の報道は、1950年代ではおもに大正教養主義以来の読書・出版にかかわるものとして展開された(「私のすすめる教養書」欄など)。それとともに、集会・講座といった形で教養を学ぶ・教養にふれる試みが報道された。
 1960年代には、テレビの「教養番組」が隆盛を迎えた。教養番組においては、歴史・宗教・政治・文化・医療・健康といった様々な分野の内容が放送されていた。さらに、1960年代・1970年代にわたって、記事件数としては最大規模となる「婦人教養の集い」が定期的に新聞紙面に掲載されていたことが特徴として指摘できる。
 そして、1980年代にはいると、教養番組ならびに婦人教養の集いも紙面に上らなくなる。1980年代・1990年代において教養は、①カテゴリーにおいては「教養書」のベストセラーあるいは不況といった両側面が報道され、③カテゴリーでは主に大学の教養教育の機能不全・大学生の教養の無さが問題として報道された。そして④カテゴリーならびに⑤カテゴリーにまたがり、社会人として働く女性の教養といった形で、ビジネスの文脈に沿った形での「教養」言説が登場してゆくのであった。
 1960年代のテレビの教養番組への注力・1960~1970年代の婦人教養の集いの開催・1980年代以後の大学教育ならびに新書・出版市場への着目・80-90年代のビジネスと教養との結びつき、といった諸現象は、これまでの理解ではとらえることができなかった知見である。